カテゴリー「神社巡り 島根」の6件の記事

2010年2月 9日 (火)

賣布神社(売布神社)(H21.4.21)

●賣布神社<売布神社>(めふじんじゃ)(島根県松江市和多見町81)
賣布神社は、出雲国風土記に「賣布社(めふのやしろ)」、延喜式には「賣布神社(めふのかみやしろ)」と記された古社で、遠く神代において御祭神である櫛八玉神が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に植樹の神とされる相殿の3神をあわせ祀られたと伝わります。社号の「めふ」とは海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。
元の鎮座地は意宇郡の海辺であり、宍道湖が形成される頃袖師ヶ浦へ、そして潟地が広がって今の白潟ができたころの天正年間(16世紀後半)に、海水の流入口となった現在地へ遷座されたと伝えられています。「白潟大明神」や「橋姫(はしひめ)大明神」とも称され、長期に渡り松江の産土神として崇敬されてきました。中世には広大な神田や、漁業権を保有していた模様で、祭儀には摂社の漁労の神・調理の神である櫛八玉神と関連した、古代神話の国譲りに因む神事が継承されてきました。
主祭神は速秋津比賣神(通称橋姫と呼ばれ水門神、祓門神)、相殿神は五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命(樹種神)、摂社神は櫛八玉神(出雲大社の膳神で、漁労神)です。

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▶鳥居

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▶神門

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▶手水舎

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▶拝殿

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▶ご本殿。後方から

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▶恵美須社(大國主命・事代主命)

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▶常光神社

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▶白潟地主総荒神(速秋津比古神・素盞嗚尊)

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▶船霊神社(表筒男命・中筒男命・底筒男命)

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▶金刀比羅神社(大名牟遅命・少彦名命)

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▶趣のある石灯

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▶ご神木

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▶和田津見社(櫛八玉神・豊玉彦神・豊玉姫神)

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▶道祖神社でしょうか?詳細はわかりません

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▶ご朱印

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2010年2月 3日 (水)

神魂神社から八重垣神社(H21.4.21)

●神魂神社(かもすじんじゃ)(島根県松江市大庭町563)
神魂と書いてカモスと読むのは珍しいですが、説によると「神霊の鎮まり坐す所」つまり神坐所(かみますどころ)がカンマスになり、カモスとなったと言われています。神魂神社は、大庭大宮ともいい、通称、大庭の大宮さんの名で親しまれています。松江市の「大庭」という地名は神様の祭りごとをする場所のことらしいです。
この神社を造ったのは出雲国造家の祖である天穂日命とされている。天照大御神の第二子とされる天穂日命は、この地に天降ると、出雲の守護神として伊弉冊大神(イザナミノミコト)を祀った。それがこの神魂神社の始まりであるといいます。天穂日命がこの地に天降られ出雲の守護神として創建、以来天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで奉仕され、大社移住後も「神火相(ひつぎ)続式」「古伝新嘗祭(にいなめさい)」奉仕のため参向されている。
本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、その大きさは三間四方高さ四丈あり出雲大社本殿とは規模を異にするが、床が高く、木太く、とくに宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、神魂神社は現存する大社造りの神社としては出雲大社よりも古く、最古の大社造として昭和27年国宝に指定されています。
神紋には「有」という字が使われています。神々が御集合になる目標として、神在月の十月の十と月を合わせて象形したものと伝えられています。

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▶一の鳥居

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▶二の鳥居

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▶二の鳥居横の山道。どこに辿り着くのか気になりました。

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▶苔生した参道を進むと手水舎(御手洗)があります。自然石をくり貫き、流れる湧き水を利用しているそうです。手水舎(御手洗)の所で参道はなだらかな「女坂」と急勾配の「男坂」との二手に分かれます

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▶女坂

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▶男坂

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▶男坂の石段を登り切ると、目の前に神社殿が聳えています。一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じます。

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▶拝殿内部

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▶拝殿と国宝のご本殿。苔むした屋根、風雨でくすんだ木肌。造りは大社造と呼ばれる造りで出雲地方独特の様式です。大社造は神社建築の中でも原始的な造りで、派手な装飾はありませんが質素ながら荘厳さを感じます


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▶御釜殿。御釜殿内にその昔、出雲国造の租神である天穂日命(あめのほひのみこと)が高天原から降臨された時、乗ってきたと伝えられる釜が保管されています。12月13日にお釜神事があります

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▶熊野社

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▶伊勢社

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▶杵築社

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▶貴布禰稲荷両神社。桃山時代の建築様式である二間社流れ造りで、国の重要文化財に指定されている。流れ造りそのものが出雲地方では珍しい。

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▶外山社

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▶荒神社

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▶武勇社・蛭子社

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▶洞穴?詳細はわかりませんでした

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▶御朱印。前にお参りしたときに頂いたもので、日付が違います


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▶八重垣神社まで埴輪ロードというハイキング道になっています。テクテクと30〜40分歩きます

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▶埴輪ロードは古墳や遺跡の密集地なので少し期待しいていたのですが、しかし、遊歩道の両側に埴輪風の置物があるだけ・・・


●八重垣神社(島根県松江市佐草町227)
八重垣神社境内には連理大杉があり、縁結びの神でもあります。「早く出雲の八重垣様に、縁結びが願いたい」という出雲の古い民謡の一節からもわかるとおり、出雲の縁結びの大神として知られています。
八重垣神社、主祭神として主祭神として二柱の夫婦神を祭っています。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で名高い天津神の素盞嗚尊と国津神の稲田姫命です。ただし、女神の名は『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫となっています。
高天原から出雲国の肥の川(斐伊川)の上流に降り立った素盞鳴尊は、嘆き悲しんでいる老夫婦に出会いました。この老夫婦は脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)という神様で、8人の娘がいましたが、毎年やって来る大蛇に娘を次々に食べられ、今年はついに末娘、稲田姫命の番に。そこで素盞鳴尊は、稲田姫命をもらい受けることを条件に大蛇退治を請け負いました。
素盞鳴尊は、まず佐草にある「佐久佐女の森(現・八重垣神社奥の院)」の大杉を中心に八重垣を造って、稲田姫命をお隠しなさいました。そして次に用意したのは、強い酒が入った8つの桶。大蛇は、素盞鳴尊の作戦どおり8つの頭をそれぞれの桶に突っ込んで酒をあおり、酔っぱらってその場で眠ってしまいました。素盞鳴尊はすかさず剣を抜き、大蛇をズタズタに切り裂いて見事に退治し、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」という喜びの歌をうたい、老夫婦との約束を果たしたので、素盞鳴尊と稲田姫命はめでたく夫婦となったのでした。稲田姫命の両親に承諾を得て結ばれた二人は、「いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」という出雲神楽歌にもある通りこの佐草の地に宮造りして、御夫婦の宮居とされ縁結びの道をひらき、略奪結婚から正式結婚に至る模範を示し、正式結婚をした初めての大神とされ、縁結び、夫婦和合、授児安産に御利益がある神社として多くの人がお参りにやって来ます。これが八重垣神社のおこりで、社号も上記の歌に由来しています。
素戔嗚尊が建てた宮居は、もとは大原郡大東町にありましたが、中世に入り、この地にあった佐久佐神社に合祀されました。佐久佐神社は、青幡佐久佐比古命をお祀りしている神社で、延喜式にも登場する古社でしたが、縁結びの神として八重垣神社のほうが有名になってしまったため、明治11年、佐久佐神社から八重垣神社へと、社号を改め、現在に至っています。
また境内には椿の木が多く、その中でも3本ほど夫婦椿と呼んでいる木は、地面から2本の木が出て地上で1本になっているので、一身同体、愛の象徴として神聖視されています。年により2葉の葉が現れることもあり、ご神徳の表れと大切にされています。
本殿裏手、奥の院にあたる森(佐久佐女の森)の中は、稲田姫が八岐大蛇の難を避けられた時の中心地で、日々水を召し上がり姿を映された鏡の池があります。幻想的な雰囲気のあるいい場所です。この池のほとりには小さな祠があり、稲田姫命が祀られています。縁結び、心願成就占いの池として占い用紙に硬貨を乗せて浮かべ、縁の遅速を占う方の姿が毎日見受けられます。鏡の池では、半紙に硬貨を乗せて浮かべ、沈む速さによって良縁を占う恋占いが有名です。

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▶社号標

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▶鳥居の向かい側にある夫婦椿。根元は2本、地上で幹が1本にくっついているという、なんとも仲むつまじい椿。これは、稲田姫命が地面に立てた2本の椿の枝が芽吹いて1本になったという言い伝えがある「夫婦椿」で、一心同体、愛の象徴として神聖視されています。

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▶手水舎

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▶随神門

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▶拝殿

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▶ご本殿

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▶参集殿の中に保管されている超変わっている御神輿。生々しいです。

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▶ご本殿右側の脚摩乳社と伊勢宮

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▶「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」の歌碑

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▶ご本殿左側の手摩乳社と貴布祢社

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▶宝物館。ここには、約1100年以上前に描かれたといわれる素盞鳴尊・稲田姫命・天照大御神・市杵嶋姫命、脚摩乳命、手摩乳命の六神像の貴重な壁画が保存・公開されています。実は、描かれた年代については諸説あるようですが、寛平5年(893年)、平安時代の宮廷画家だった巨勢金岡(こせの かなおか)によって描かれたとされており、国の重要文化財に指定されています。もともとは本殿の壁に飾られていたもので、昭和41年(1966年)に取り外されて修理、宝物館で保存されるようになりました。日本の絵画史上最も貴重なものといわれています。入館料は200円です

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▶山神神社

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▶奥の院鏡の池に向かいます

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▶ここにもこのようなものが・・・
黒光りしているけど、かなり使い込んだような、ちょっと擦れている男根(爆)

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▶奥の院側の手水舎

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▶光こぼれる清々しい奥の院への参道

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▶奥の院入口。奥の院は、神話の世界で佐久佐女(さくさめ)の森と呼ばれていた所で、原生林がそのまま息づいているような森で、小泉八雲はこの森を「神秘の森」と呼びました

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▶奥の院の入り口近くの夫婦椿・子宝椿

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▶大杉(夫婦杉)。素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する際、稲田姫命が身を隠していたとされる場所です。大杉が天空に向かって聳えています

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▶天鏡神社。御祭神は、稲田姫命

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▶鏡の池。稲田姫命が森の大杉を中心に八重垣を造って八岐大蛇の難を避けるため、避難している際、日々の飲み水とし、また姿を写す鏡としていたという言い伝えがあり、「姿見の池」ともいわれています。こんこんと湧き出る清水が昔ながらの面影をしのばせ、稲田姫命の御霊魂が底深く浸透しているところから、縁結び占いの池として信仰されています

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▶池に浮かべた占い用紙。和紙の沈む速さで良縁の訪れが早いか遅いかが分かり、また和紙が近いで沈めば身近な人と、遠くなら遠方の人と結ばれるとされています

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▶そのままじっと待っていると、コインの重みで半紙に池の水が上がってきます

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▶約5分後、コインは沈んでいきました。

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▶御朱印。前にお参りしたときに頂いたもので、日付が違います

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熊野大社(H21.4.21)

●熊野大社(島根県松江市八雲町熊野2451)
出雲国には一之宮が二つ存在します。出雲国西寄りの旧大社町にある出雲大社と東寄りの旧八雲村にある熊野大社です。熊野大社の創建は神代で、初見は「日本書紀」(720)の斉明天皇5年(659)に「出雲國造を厳神の宮をつくらしむ」との記載があります。「出雲国風土記」(733)の熊野山の条項に「熊野大神の社坐す」とあり、当時は熊野山(現在の天狗山)に鎮座していたことがわかります。「延喜式神名帳」(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、古来、杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の国の大社として鄭重な扱いをうけました。朝廷のご尊祟が極めて篤く、仁壽元年(851)に従三位を、貞観9年(867)に正二位の神階を授与された。中世の頃に熊野山から麓に移る。また、上の宮、下の宮の二社に分かれ奉仕されるようになり、江戸末期まで上の宮には熊野三社権現、下の宮は伊勢宮とも呼ばれていました。殖産興業・招福縁結・厄除の大神として衆庶の信仰が深い。明治4年(1871)国幣中社、大正5年(1916)国幣大社に進列された。しかし、社号は明治の神社制度改正で大社から神社となってしまい、大社号の復活が望まれて久しかった。が、昭和53年(1978)の昭和戊午遷宮で熊野大社に復活しました。昭和53年の戊午遷宮を機に本殿をはじめ諸社殿、境内が一新されました。
古来特に出雲大社との関係が深く、出雲大社の祭祀は熊野大社の「神聖の火(熊野大神の霊)」、燧臼燧杵の神器を拝載する事によってはじまるとされ、出雲大社宮司(出雲國造)の新任時の霊継式(火継)、また年々の当社の鑽火祭に於いて新しいその神器が授与されます。
10月に行われる鑚火祭の亀太夫神事では出雲大社の神職が平身低頭して熊野大社の社人亀太夫から古伝新嘗祭で用いる神器を授けてもらいます。古来からの両大社のつながりの深さがわかる神事です。火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれています。

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▶一の鳥居

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▶一の鳥居を入ったところの狛犬

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▶二の鳥居

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▶「上の宮」跡へは時間がなくて、行けませんでした

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▶八雲橋から意宇川を望む

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▶三の鳥居

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▶大きな注連縄を張った随神門

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▶拝殿。出雲大社と同様に大きな注連縄の拝殿が神域中央にどっしりと構えており、その奥に大社造りのご本殿の屋根が見えます。伊邪那伎日真名子 加夫呂伎 熊野大神櫛御気野命とという長い神名を持つスサノヲノミコトをお祀りしています

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▶拝殿の内部

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▶稲田神社。ご祭神は櫛名田比売命、足名椎命、手名椎命他六社合祀

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▶伊邪那美神社。ご祭神は伊邪那美命他十九社合祀。元々は上の宮の社殿

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▶舞殿。もともと拝殿だった建物を昭和53年に移築したものらしいです

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▶「八雲立つ~」の和歌の歌碑

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▶鑽火殿(さんかでん)。大正4年の造営。
器の火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりきね)を保管する建物。燧臼・燧杵は、古代の人々が火を熾す際に使った道具で、古くからのしきたりを大切にする神社の祭りや神事では、この道具を神聖な神火を鑚り出す方法として今も使用しています。
熊野神社では毎年10月、燧臼・燧杵を用いた特殊な神事が行われます。鑽火祭(きりびまつり)と呼ばれている神事で、この日は、出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使用する燧臼、燧杵を受け取るために熊野大社を訪れます。この神器を授け渡す儀が「亀太夫神事」と呼ばれるもので、出雲大社が納める餅の出来ばえについて苦情を口やかましく言い立てる変わった行事で、その後に、出雲大社の宮司が神前に進み出て、神歌と琴板の楽に合わせて「百番の舞」という神舞を舞い、舞が終わると宮司が退出し、神事が終わります。
出雲大社の奉祀する宮司(国造)が代替りするときも、熊野大社に参り、熊野の神から拝戴の火切臼と火切杵とで聖火を切り出し,この聖火で料理した神饌を熊野の神に奉り,自らもこれを口にします。また、拝戴の神火はもち帰り、斎火殿(おひどころ)に奉安して国造一生の間絶やすことがありません。国造の代替りは火の継承であるから,神火の拝戴を火継といいます。こうした神火相続の儀は、出雲大社の宮司(國造)が現在も古式のまま継承しています。

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▶稲荷神社

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▶荒神社

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▶荒神社横の御神水。非常においしいお水でした

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▶御朱印。前にお参りしたときに頂いたもので、日付が違います

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2010年1月31日 (日)

出雲大社(H21.4.20)

●出雲大社(いずもおおやしろ)(島根県出雲市大社町杵築東195)
一般には「いずもたいしゃ」と呼ばれていますが、正式名称は「いずもおおやしろ」と読みます。大社の総称社として知られる旧官幣大社。『延書式』に名神大社として唯一大社に列し、出雲国一の宮として朝廷の崇敬が厚く、神話伝承や過去の記録に残る出雲大社は、歴史上、常に特別の神社として位置づけられ、その時代の為政者(後醍醐天皇、豊臣家、毛利家、松平家等)より社領の寄進や祈願等、加護と信仰を受けてきました。
縁結びの神様「大国主大神(おおくにぬしのみこと)」で有名な出雲大社。毎年神在月の頃になると、日本各地の神々が出雲大社に集まり、男女の縁だけでなく、その他の色々な”縁”を結ぶ「神議り(かむばかり・会議)」を行うそうです。そのため、出雲地方では「神無月」のことを「神在月」といいます。毎年多くの参拝客が訪れ、縁結びの地として人気のスポットです。
創祀は『古事記』『日本書紀』などによると、大国主大神は素箋鳴尊の子(6世の孫とも)で、葦原中国の国造りにあたり、やがて天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨のとき、国土を譲って出雲国多芸志の浜に身を隠した。大国主大神の国譲りを喜んだ天照大神は、天日隅宮を築き、その子の天穂日命を奉仕させたのが起こりといいます。いまも天穂日命を祖とする出雲国造家が、連綿として祭祀を継承しています。
「古事記」には大国主命の国譲り(神楽の映像)の項に「私の住む所として天子が住まわれるような壮大な宮殿を造ってくれるのなら、国を譲り、世の片隅で静かに暮らしましょう」ということで造営されたと記されています。
「日本書紀」には「汝が祭祀をつかさどらん者は天穂日命(あめのほひのみこと=天照大神の第二子)これなり」とあり、この天穂日命の子孫が出雲国造で、現在まで継承されているといわれています。
御本殿は「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式で建てられており、国宝に指定されている大変貴重なものです。高さは約24メートルあり、日本書紀(720年)や出雲国風土記(733年)にも記述があります。社伝によると、太古の出雲大社の本殿の高さは97m、中古には現在の2倍にあたる48mあったと言われています。平成12年には、その社伝を裏付けるかのような、直径3mもの巨大な柱根「宇豆柱(うずばしら)」が境内で発見されました。神楽殿には、日本一の「大注連縄」(重さ約5t)があり、出雲大社の参道入口から南へ600mほど下ると、日本一の大鳥居があります。八足門(やつあしもん)や楼門など21棟と銅鳥居1基が国の重要文化財。

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▶一畑電鉄出雲大社前駅

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▶出雲大社の駅とは思えない大胆なデザインなのに、異国情緒あるレトロ感がいい感じです。

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▶日本一の大鳥居。一の鳥居になります

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▶参道にある竹内まりやさんの実家の竹野屋さん

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▶二の鳥居

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▶緩やかな下り坂の参道

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▶祓社(はらいのやしろ)参拝する人をまずここで祓い清めます

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▶鳥居をくぐって一歩神域に足を踏み入れると、両脇から太い枝を張った樹齢何百年という老松の参道が長々と続きます。直立している幹などほとんどなく、幾分傾き加減の巨木が立ち並ぶ参道も趣があっていい感じです。松並木が終わるあたりで左右を見ると銅像が見えます

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▶大国主神と白兎

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▶大国主大神が幸魂(さきみたま) ・ 奇魂(くしみたま) を拝戴する場面「ムスビの御神像」。これが縁結びの由縁です

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▶皇后陛下の出雲大社に詣でての石碑「国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず」
平成15年10月3日、天皇陛下・皇后陛下には出雲大社を御親拝あそばされ、皇后陛下が「出雲大社に詣でて」と御題されて「国譲り祀られましし大神の 奇しき御業を偲びて止まず」との御歌を賜われました。

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▶手水舎

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▶三の鳥居。寛文6年(1666)に毛利輝元の孫にあたる綱広が寄進した銅鳥居。漢文で銘が刻まれていて、その中に「・・・素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり・・・」とあり、祭神が素戔嗚尊と明言している不思議な一文で、出雲神話では、素戔嗚尊の神威力が高く受けとられていたことや大国主神が素戔嗚尊の直系の子孫にあたることから、祭神が混同された時代もあったのかも知れません

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▶昭和34年に再建された桧造りの美しい拝殿。大遷宮中の今は御仮殿になります。
出雲大社は「平成の大遷宮」の真っ最中。「大遷宮」とは本殿の造営、修理に伴い、修復が完了するまで大国主の大神様に仮の本殿となる仮殿に移っていただくことで、平成の大遷宮の場合は
・仮のお住いにお移りになる「仮殿遷座祭」 =平成20年4月20日
・仮のお住いから修復された本殿にお戻りになる「本殿遷座祭」=平成25年5月
出雲大社の大遷宮は厳密に何年毎というわけではなく、だいたい60年~70年おきに行われてきました

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▶出雲大社では、二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。ほとんどの神社では二拍手が決まりのようなものですが、ここでは4回拍手します。社頭で2回おじぎをして、4回柏手を打ち、さらに一回おじぎをするのが出雲の作法です

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▶瑞垣の門・八足門。国宝の本殿は、拝殿の奥に瑞垣と玉垣に囲まれていて建っている。瑞垣の門を八足門という。普通は、ここから本殿を拝します。

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▶修復中のご本殿。昔の大遷宮は機械もなくどうやっていたのでしょうか?

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▶十九社(じゅうくしゃ)
本社の荒垣内、御本殿の東西に相対して鎮座で、それぞれ十九の扉がついています。出雲大社神在祭の期間、全国の神々がお泊りになる社です。旧暦10月10日の夕刻、出雲大社西方の稲佐の浜で全国の神々をお迎えして(神迎祭)から翌日11日から17日までの1週間(神在祭)は、この社の全ての扉が開かれ、おまつりがおこなわれます。今の御社殿は延享5年(1748)2月の御造替です。
我が国では、旧暦の10月を通常「神無月(かんなづき)」と呼んでいます。10月10日に全国の神々が出雲大社に集られ、10月11日から17日までいろいろな神議りを行わうため、出雲以外では神々が不在になるためで、出雲ではこの月を「神在月(かみありつき)」と呼びます。余談ですが、私のペンネームもこの神在月からいただきました

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▶摂社 氏社(うじのやしろ)本社の荒垣内、御本殿の西方に東面して鎮座する南北に並んだ二社です。北側の御社には天穂日命(あまほひのみこと)が祀られています。天穂日命は大国主神に国を譲るように朝廷から差し向けられた使者でしたが、大国主神に私淑(手本として慕い、尊敬し学ぶこと)してしまった神です。南側の御社には国造出雲臣宮向宿祢命(いずものおおみやむきのすくねのみこと)が祀られています。この国造は天穂日命の17世の神裔(孫)で、この時はじめて「出雲臣」の姓を賜ったといわれています。今の御社殿はいずれも延享5年(1748)5月の御造替です

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▶素鵞社(そがのやしろ)遙拝所
本社の荒垣内、御本殿の後、北の八雲山の麓に南面して鎮座で、御祭神は素箋鳴尊です。天照大神の弟神にあたられます。やがて出雲国に天降され、肥河上において八岐大蛇を退治されて人々をお助けになり、次いで奇稲田姫を御妻として大国主命をお生みになられました。その後大神に国づくりの大任をお授けになったことは、人々によく知られるところです。今の御社殿は延享5年(1748)7月の御造替です。「平成の大遷宮」による瑞垣内諸社殿修理に伴い、遙拝所が設けられていました

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▶釜社(かまのやしろ)
本社の荒垣内、御本殿の東方に西面して鎮座。御祭神は宇迦之魂神です。この神様は、須佐之男命の孫にあたる神様で、食物を守る神様です。このあたり一帯の北山山地を宇迦山とも呼びますし、「宇迦」とは穀物を意味する古語といわれております。今の御社殿は延享5年(1748)7月の御造替です。

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▶神楽殿
出雲大社では拝殿と神楽殿に巨大な注連縄の張られています。しかし、その張り方が普通の神社とはまったく逆になっています。日本では、古くから左(向かって右)の方が上位で尊いとしてきた。神社でも同じで、社殿から見て左側、すなわち参拝者から見て右側が上位であります。このため、一般の神社の注連縄を見ると、参拝者から見て向かって右側から綯い始め、向かって左側で綯い終わる。だが、出雲大社では正反対で、注連縄の綯い始めは向かって左となっている。作家の伊沢元彦氏は、その理由を「出雲大社は大怨霊オオクニヌシノカミを封じ込めた神殿である」ためとしています

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▶神楽殿内部

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▶日章旗。この写真では全然大きく感じませんが、出雲大社の日の丸は、日本一大きい国旗なのです。国旗掲揚台の高さ47m。国旗の大きさは畳75枚分、重さは約50kgです。NHKの一日の放送終了時に映される国旗はここのを使っています。

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▶秋篠宮悠仁親王殿下ご誕生記念

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▶ご祭神不明

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▶神楽殿の裏。神楽殿のご本殿でしょうか?

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▶神楽殿の裏の鎮守社・天満宮の垣内の三社殿

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▶鎮守社・天満宮の垣内の二社殿

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▶鎮守社・天満宮

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▶境外摂社 神魂伊能知奴志神社(命主社)。神産巣日神をお祀りしています。
神産巣日神は、まだ伊邪那岐神と伊邪那美神が生まれるよりも前、高天原に最初に成った三柱の神のうちの一柱です。大国主神の危機を幾度も救い、国造りの支えとなりました。

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▶神魂伊能知奴志神社(命主社)の本殿のうしろから江戸時代初期に四本の青銅製利器と曲玉が出土したとされ、その場所には真名井遺跡との標識が立っていました。

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▶八大荒神社(仮の宮荒神社)
この神社は出雲大社の大鳥居前から日本海に抜ける29号線の北にある、奉納山公園の山麓に鎮座しています。
社号標には「仮の宮荒神社」とありましたが、鳥居と拝殿の額に「八大荒神社」とありました。この神社そのものについては何も説明がなかったので創建などについては分かりません。只、仮の宮は地区名であり、荒神様なので御祭神は素戔嗚命を祀っているものと思われます。奉納山は出雲大社へ奉納する経文を納めた所。

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▶境外摂社 大歳社

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▶国譲りにちなむ屏風岩。大国主神と建御雷神はこの岩の陰で国譲りについての話をしました

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▶境外摂社 上の宮(仮宮)。神在月に境内で「神在祭」が行われます。素戔嗚尊・八百万神

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▶境外末社 下の宮。天照大御神

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▶稲佐の浜と弁天島
国譲りの舞台となった浜です。建御雷神は十掬の剣を波頭に突き刺して、国を譲るか否かを問いました。また、旧暦10月10日の「神迎神事」はここで行われます。
島は弁天島です。出雲国風土記の国引き神話で、八束水臣津野命が出雲の国を大きくしようと他国の余った島を引っ張るのに使った綱が、弁天島になったとされています。引っ張ってきて繋ぎ合わせたのが杵築御埼(きねづきのみさき/現在の日御碕・ひのみさき)等です。

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▶北島国造館
出雲大社の境内を抜け、橋を渡ると北島国造館です。何故、同じ出雲大社にありながら、独立しているのだろうかと不思議でした。出雲大社の宮司の千家家と北島家はかっては同じ兄弟から別れ、同格、そして今は別の管理下であることを知りました。こじんまりとした気持の良い国造北島館境内です。北島国造館は,全国の出雲教(出雲大社,何々の国支社)の総本山と言うことらしいです。

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▶御神殿

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▶御三社 左より稲荷社、天穂日命社、荒神社

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▶天神社、心字池中之島に鎮座。後ろは亀尾の滝と呼ばれています。祭神 少名毘古那神

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▶天満宮

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▶相生の松

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▶JR大社駅(廃駅)。30年近く前、小学生の頃初めて友人と旅行したのが出雲大社で、この大社駅に夜行列車から降りたのをはっきりと覚えています。当時はまたJRではなく国鉄でした。30年近くぶりでホント懐かしく、このように当時のまま保存されているのを非常にうれしく感激しました。
このJR大社駅が開業したのは明治45年6月で、駅舎は大正13年の改築です。平成2年3月31日には大社線が廃止となったため、大社駅も共に廃駅となりました。

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▶鉄道の栄枯盛衰を象徴するような駅です。神社様式のなんて美しい駅舎なんだろうと見とれてしまいました。出雲大社を模したつくりです。平成16年に国の重要文化財に指定されました

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▶駅ではめずらしい出雲大社の大祭に遣わされるご皇室の勅使をもてなすための貴賓室や駅名標、出雲大社の大鳥居が見えるホームなどが当時のままに残されています。さらに、旧事務室は喫茶店として使われており、大正ロマンが味わえ往時をしのぶ事が出来ます

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▶昔は大勢の駅員さんが働いていた事でしょう。ちなみに全盛期(昭和47年)には一日の乗降客4000人、発着荷物180トンを誇りました

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▶展示されている機関車(D51型774号機)は昭和49年11月30日まで走っていました

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▶全盛期には出雲大社参詣用の団体専用列車を迎え入れていただけでなく、東京から大社まで急行が走り、大阪からは昭和60年まで急行「だいせん」が大社まで乗り入れていたのです。『お召し列車』の送迎、急行いずも号(大社~東京)・急行だいせん(大社~京都)などの直通運転をはじめ、戦後の最盛期には年間の団体臨時列車は280本を数えました。

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▶御朱印

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2010年1月30日 (土)

日御碕神社(H21.4.20)

●日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)(島根県出雲市大社町日御碕445)
日御碕神社は島根半島の西端に位置し、上の宮に素盞嗚尊、日沈宮に天照大御神をお祀りしています。「上の宮」は「神の宮」ともいわれ素盞鳴尊を祀り、安寧天皇の13年に背後の隠ケ丘(かくれがおか)から遷されたものです。「日抗宮(ひしずみのみや)」は、須佐之男命の御子、天葺根命(あめのふきねのみこと)が御崎の浜(清江の浜)に出かけたとき、経島の百枝(ももえ)の松に瑞光が輝いて天照大神の神託があったので、この島に大神を奉斎しました。島の上に神殿を築き、これが『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に載る「百枝槐社(ももええにす)」であるといわれてる)ともいわれ、西の海に太陽が沈むところだと言われています。ちょうど夏至の日、この日御碕神社と出雲大社、木次町の「日登地区」、そして和歌山県の日ノ御崎を結んだ直線上を太陽が昇り沈んで行くそうです。
素盞鳴尊の奇魂(くしみたま)と、日の神・天照大御神の和魂(にぎみたま)の御霊威をいただいた御神徳は「邪心を払い給う神」「厄除けの神」「産びの神」「縁結び、夫婦円満、家運繁栄の神」「交通安全の神」「殖産興業、安産の神」など、広く霊験あらたか、上世以来二十数回の造営すべてが勅命か将軍命によるものであることからも、御神威の一端がうかがわれます。また、戦国時代の大名、尼子氏が日御碕神社を尼子氏領国の守護神に指定したことにより、戦国期には日御碕神社は出雲大社と肩を並べる神社になっています。
現在の社殿は、日沈宮、神の宮ともに徳川三代将軍家光公の命で、日光東照宮建立の翌年、寛永十四年より幕府直轄工事として着工され、七年の歳月をかけて同二十一年の竣工で、三百六十余年を経ています。これら社殿の造営資金は、幕府から1200貰文(現在の金額で30~40億円)が寄付されています。桃山時代の面影を残す精巧な権現造りで、両本殿内部の天井四壁の絵は狩野、土佐両派の画匠による豪壮な趣きのあるものであります。昭和28年には、社殿のすべてと境内の石造建築物も含め、国指定重要文化財とされました。
ご祭神は出雲大神の父神に当り、出雲大社の奥の院・親神として、また伊勢神宮は昼を、当社は夜を守る神との信仰があります。歴史をたどると、『出雲国風土記(奈良時代)』に「美佐伎社(みさきしゃ)」、『延喜式(平安時代)』に「御崎社」と記されている古社です。
平安時代末期には平田市の鰐淵寺とともに山岳霊場として全国に知られていたらしく、『梁塵秘抄(りょうじひしょう)(後白河上皇撰、鎌倉時代)』にも記され、平安時代末に都で流行した歌謡にも歌われていました。そして、室町時代には、当時の室町幕府(将軍足利義澄)から「日御碕造営勧進簿」をもらったことが史料にのっています。

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▶日御碕神社バス停前の一の鳥居

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▶手水舎

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▶楼門。楼門を抜けると正面の「下の宮(日沈宮)」と、右手の石段上に「上の宮(神の宮)」があります。

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▶日沈宮拝殿。本殿蛙股(かえるまた)(上を支えるための蛙の股のような建築部材)を中心とする彫刻は、竜虎をはじめ鶴亀や松竹梅、そして日光東照宮のように「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿をかたどった見事な彫刻が施されています。

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▶日沈宮ご本殿

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▶日沈宮拝殿とご本殿

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▶神の宮拝殿

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▶神の宮ご本殿

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▶右の門客人神社

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▶左の門客人神社

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▶神紋石舎

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▶御神砂之碑

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▶稲荷社

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▶御井社?でしょうか?

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▶荒祭宮

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▶神倉のような社殿

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▶摂社 荒魂神社

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▶神倉の横の末社

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▶昭和天皇陛下御製の御歌。昭和57年くにびき国体に行幸のみぎり、日御碕神社にご親拝された際に賜った御歌とのことです。

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▶蛭児社

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▶韓国神社

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▶境外摂社 厳島社でしょうか?社標が消えていてわかりませんでした。

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▶祖霊社

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▶境外社 順式社。右奥のお稲荷さんは詳細はわかりませんでした

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▶港側(経島)の鳥居

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▶日沈宮は、当初「百枝槐社(ももええにす)」として経島に祀られており、この島(大小二つの島からなり、面積約3000平方メートル、高さ20メートル)は今も神域であり、一般の人は入島が禁じられています。
この島の名は、島全体を覆おうデコボコの流紋岩が柱状に発達(石英角斑岩の柱状節理)し、ちょうどお経の巻物を積み重ねたように見えることからこの名前がついたと言われています。

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▶また、この経島は青森県の「蕪島(かぶしま)」と共に日本では数少ないウミネコ(カモメ科)の繁殖地として国の天然記念物に指定(大正11年)されています。

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▶ウミネコの数は数千羽にも達し、ここが繁殖地となったのも、経島沖がイワシ、サバ、アジ、ブリなどの好漁場で餌が十分であったことと、この島が神域で人が立ち入らなかったからでしょう。また、この鳥は魚群を知らせる水鳥として漁師さんにかわいがれています。

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▶日御碕灯台
この海成段丘に立つ日御碕灯台は、世界灯台100選や日本の灯台50選に選ばれた日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いため、Aランクの保存灯台となっています。日本の灯台50選に選ばれています。明治32年に浜田(島根県)、境(鳥取県)の両港が開港場に指定されて外国貿易がさかんになったので、大型の沿岸灯台設置の必要性が高まり、明治36年に設置・点灯されたものです。高さは基礎から頂部まで43.65メートルで、今なお日本最高の灯台、石積みの灯台としては東洋一の高さとして有名です。平成10年には、この日御碕灯台は「世界の歴史的灯台百選」の一つとして選ばれました(国際航路標識協会がまとめた「世界各国の歴史的に特に重要な灯台百選」

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▶日御碕遊歩道。日御碕から桁掛半島を経て鷺浦に至る地域では、日本海に面した海食崖に沿って、およそ1,600万年前に噴火した流紋岩のさまざまな産状を見ることができます。日御碕灯台から遊歩道のあるところは流紋岩が最も厚く分布しているところです。

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▶御朱印。前にお参りしたときに頂いたもので、日付が違います

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須佐神社(H21.4.19)

●須佐神社(島根県出雲市(旧・簸川郡)佐田町宮内730)
須佐神社は、出雲国風土記にも登場する由緒ある古社。全国に数多くある須佐之男命(スサノオノミコト)ゆかりの神社の中で唯一、御魂をお祭りしている神社です。須佐之男命を主神とし、稲田比賣命、脚摩槌命、手摩槌命を配祀されています。
出雲風土記飯石郡の條に「須佐郷、郡家の正西一十九里、神須佐能袁命詔り給はく、此の國は小き國なれども、國處なり、故我が御名は木石に着けじと詔り給いて即ち己命の御魂を鎮め置き給いし處なり。然して即て大須佐田小須佐田を定め給いき。故、須佐という。即ち正倉あり」と載せてあります。即ち御神徳の宏大なる須佐大神が自ら御魂を鎮め置き給いし、いとも尊き御社であります。須佐之男命の御社としては他に其の比儔を見ざる處であります。須佐は須佐之男命の御終焉の地御鎮魂の聖地御名代としての霊地であり、須佐之男命の御本宮として古より須佐大宮、十三所大明神、出雲大宮と稱え朝廷をはじめ國守藩主、武将の崇敬は申すに及ばず世の人々の崇敬あつい神社であります。
明治に至るまでに幾度か神社名が変わっており、奈良時代には須佐社、平安時代には須佐神社、室町時代には十三所大明神、天文年間には大宮大明神、近世では須佐大宮あるいは出雲大宮、そして明治4年に須佐神社と制定されました。
江原啓之さんご推薦ということで、テレビや雑誌などで日本一のパワースポットと紹介され、にわかに注目を集め始めています。須佐神社へは、出雲市駅から一畑バスで行くしかありません。朝方は2時間に1本ぐらいしかありません。出雲市駅からバスに揺られること40分、終点の出雲須佐へ到着。そこからタクシーで約5分。出雲須佐のバス停前に丁度タクシー会社があるのですが、車が2台しかありません。それを知らず、帰りタクシーを呼んだのですが、出てしまっていて、2時間ぐらいかかると言われて、最終バスにギリギリでした。

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▶鳥居脇の社号標には「須佐大宮」と刻まれています

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▶手水舎。なかなか趣があります

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▶石亀

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▶神馬舎

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▶隋神門。豊磐間戸神、櫛磐間戸神をお祀りしています。

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▶参道左右の東末社・西末社。天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命(、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命をお祀りしています

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▶塩井。須佐神社の七不思議のひとつ。海に続いていて、水の湧き出しに間渇があるのは、海の満ち引きに関係があると言われています。

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▶拝殿

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▶拝殿、横から

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▶ご本殿。2間四方の大社造。現在のご本殿は、戦国武将の尼子晴久の時代天文23年(1554)に建て替えられたものでで、出雲大社とともに代表的な大社造りの建物です
大社造とは、四方の柱の間に一本ずつの柱がある。即ち方二間で中央に真柱がある。中央と右中間の柱との間を壁でとじ、その奥を神座とする。向かって右方一間を入口とし階(きざはし)をつくる。この入口が右方に偏っていることは、他の神社や仏寺には全く例のないことで、神社と住宅が分離しない原始の建築を伝えている。屋根は切妻栩葺(きりつまとちぶき)で妻の方に入口がある。出雲大社と共に典型的な大社造りの建造物で島根県重要文化財として指定されています

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▶ご本殿裏の大杉さん。悠久の時に包まれた境内は、青々と樹木が生い茂り、聖霊な空間に閉ざされたような緊張感が漂います。

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▶百手神事が執り行われていました。4月19日の古伝祭で午後に行われる、悪魔退散・五穀豊饒を祈願する弓射神事。

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▶稲荷社。稲倉魂命をお祀りしています

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▶三穂社。通称、下の御前さん。三穂津比売命をお祀りしています

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▶ご祭神不明

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▶天照社。ご祭神は天照大神。神社の前の道路を挟んで向かい側。須佐神社の本殿と一直線に対峙するように建っています。上の御前さんとも呼ばれる。中世には伊勢宮と呼ばれていました。

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▶須佐神社ご朱印

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