金劔宮(H21.4.14)
●金劔宮(きんけんぐう)(石川県白山市白山市鶴来日詰町巳118)
祟神天皇三年(紀元前95)の創建と伝えられ、剱集落の発生と時を同じくして、鎮斎せられました。白山七社(「本宮四社(白山、金剱、岩本、三宮)」「中宮三社(中宮、佐羅、別宮)」)の一つに数えられています。古くは「剱宮(つるぎのみや)」と称し、明治以降「金剱神社」の社名が用いられました。 また、金剱明神、剱明神などとも呼称される時期もありましたが、 現在は宮号に復し、「金剱宮」と称されています。「鶴来(つるぎ)」という地名の文字は、江戸時代の元禄以降に使用されたもので、 元来は「剱」または「剣」と記したことから、社名と地名とが一致した代表的な事例といえます。
尚武の神、身命守護、生業繁栄の神として信仰が篤く、寿永二年(1183)木曽義仲が倶利伽羅谷合戦の大勝を奉謝し、鞍置馬20頭を寄進しています。また文治二年(1186)には、奥州へ向かう源義経が、金剱宮に参拝し、 夜もすがら神楽を奉納したと『義経記』に記されていて、義経奉納の太刀一口があったとの口伝があります。境内には「義経腰掛岩」が残っています。
最近では、金運アップのパワースポットとして有名で、全国から金運アップを願い、訪れる人が後を絶ちません。
▶平成21年11月1日で鶴来~加賀一の宮駅間が廃止されるため、永遠に列車が走ることがなくなります
▶また、道路を渡って、境内入口にでます。一の鳥居から二つ道路を渡ります。ここには鳥居はありません。
▶天忍石(牛石)
「社頭に影向石あり、天忍石と呼ぶ。古神霊此の石頭に降臨したまへしと言う。」(鶴来町誌 明治十六年刊)より。尚、牛石とも言う。形状小牛に似ている故なり。※影向=神仏が一時姿を現すこと(境内案内板より)
▶義経腰掛石
源義経、奥州へ落ちのびる途次、金劔宮に詣でた。その折境内のこの石に腰掛け、眼下に広がる平野や手取川を眺めたと伝えられる。 義経記巻七に、「安宅の渡りを越えて根上の松に着き給ふ。……明くれば白山に参りて女体后の宮(白山比咩神社)を拝み参らせて、その日は 剣の権現(金劔宮)の御前に参り給ひて、御通夜あり、夜もすがら御神楽参らせて、……」と、 あるによるなり。尚、往古義経笈掛の松もありしと言う。※笈=修験者や修行僧が経典や衣類を入れて背負った葛篭(境内案内板より)
▶御本殿。ご御祭神:瓊々杵尊、大國主神、大山咋命、日本武命、事代主神、猿田彦神
▶恵比須社のご祭神は天地悠久の大神霊〈金劔宮社叢ウラジロガシ林を御神体とする神様〉と大阪の今宮戎神社の御分霊
▶招魂社(御英霊)。境内の最北に位置する招魂社。10mほどの階段があります。 招魂社は少々離れたところに位置しています。
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