熱田神宮(H20.6.22)
●熱田神宮(名古屋市熱田区神宮1-1-1)
熱田神宮の創始は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚した。草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が能褒野で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斉鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に常に置かれるようになり、伊勢神宮に次ぐ権威のある神社として栄えることとなりました。
以来伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれています。
境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられています。
昭和20年の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われる虞があるとして、8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、昭和30年(1955年)10月に再建されました。
▶拝殿。明治26年までご社殿は尾張造りでしたが、三種の神器奉斎の社であることから、伊勢神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに造りかえられました。
▶この激しい雨の中、結婚式が執り行われていました。花嫁さんは大変かも知れませんが、雨の結婚式もいいものですね。
▶六末社。南から、日長神社(日長命)、素盞嗚神社(素盞嗚尊)、水向神社(弟橘媛命)、今彦神社(建稻種命)、姉子神社(宮簀媛命)、乙子神社(弟彦連)。
▶大楠。弘法大師のお手植えと伝えられ、境内には名古屋市内で最も古く大きな木(楠)もあり、同じく市内で3番目に大きな木(やはり楠)が清水社前に、そして4番目がこの「大楠」です。手水舎北側にあり、熱田神宮で最も有名な大木です。大楠は千年になります。
▶二十五丁橋。、板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、名古屋では最古の石橋といわれています。昔ながらの優雅な姿は誠に見事です。西行法師が、これほど涼しい宮を誰が熱田と名をつけた、というユーモラスな唄があります。
▶楠御前社。縁結びの神として世に知られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしています。尚、このお社には社殿がなく、垣をめぐらした中に社名の示すとおり、楠の神木が祀られています。
▶楠御前社は、「子安の神」又は「お楠さま」と呼ばれ、種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚く、小鳥居に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれています。
▶左から曽志茂利社、八子社、南新宮社。境内摂社である南新宮社は、熱田神宮唯一の朱塗りの社殿である。
●初えびす多賀殿・宝亀山 蔵福寺(名古屋市熱田区神宮2丁目11-12)
熱田神宮の参拝が終わって、次の目的地、正門をでたところのひつまぶしの有名店蓬莱軒に向かいます。
▶開店30分以上前なのに、もうこんなに人がならんでいました。私も並びました。すると目の前に神社か寺院なのかもわからないような建物を発見。
▶入口に初えびす多賀殿と書かれていましたが、神社かお寺かも不明です。何の案内板もありません。あとで調べると浄土宗西山禅林寺派の宝亀山 蔵福寺というお寺のようですが、そういった名前の表示はまったくありませんでした。
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