カテゴリー「伊勢神宮」の8件の記事

2010年1月23日 (土)

伊雑宮(H21.4.13)

●伊雑宮(三重県志摩市磯部町上之郷)
伊雑宮(いざわのみや)は、皇大神宮別宮で、式内社・粟嶋坐伊射波神社二座の論社であり、志摩国一の宮でもあります。三重県志摩郡磯部町上之郷にご鎮座。天照坐皇大御神御魂をおまつりされています。創立は、約2000年前の第11代垂仁天皇の御代のことであります。延暦年間(782~806)には、すでに「天照大神遥宮」と称され、他の別宮と同様に祭祀が行われていたといいます。
皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ=皇大神宮へ奉る御供物を採る所)をお定めになるため、志摩国をご巡行の際に、伊佐波登美命が奉迎して、この地に当宮を創建して、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられています。
『万葉集』に「御食(みけ)つ国、志摩の海女ならし、真熊野の小船に乗りて、沖辺漕ぐ見ゆ」とも歌われているように、志摩の国は風光麗しく、海産物に富み、古来神宮と朝廷のご料を貢進した地です。特に漁師、海女の崇敬があつく 伊雑宮で「磯守」を受け、身につけて海に入るのが風習となっています。

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▶近鉄志摩線上之郷駅下車徒歩約3分ほどです。

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▶手水舎。内宮外宮とくらべるコンパクトサイズです。

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▶異様に根本がふくれているご神木。

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▶神饌所でしょうか?

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▶20メートル程の参道の先に、御正殿があります。

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▶御正殿

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▶伊雑宮の御神田(おみた)
伊雑宮の南に日本三大田植祭の一つといわれる御田植神事が行われる神田があります。ここで収穫される米は神宮に奉納されます。

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▶伊雑宮のご料田で、毎年六月二十四日に行われるお田植は、 香取神宮、住吉大社のお田植とともに、日本三大御田植祭として有名です。 旧礒部九村が毎年輪番の奉仕で、古式ゆかしいく典雅なお田植が行われ、当日は 大変な人出でにぎわいます。

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▶御朱印。前にお参りしたときに頂いたもので、日付が違います。

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2010年1月22日 (金)

二見興玉神社(H21.4.12-13)

●二見興玉神社(三重県度会郡二見町江575)
二見興玉神社は、729年~749年頃に創建されたと言われています。猿田彦大神と宇迦御魂大神を祀る神社です。人々は「夫婦岩」と呼ばれる二つの岩を鳥居に見立てて、沖合い660メートルに鎮座する「興玉神石(おきたましんせき)」と呼ばれる猿田彦大神ゆかりの霊石を拝し、さらに夫婦岩の間からのぼる朝日を天照大神として拝んできました。夫婦岩はその鳥居とされています。二見浦の海辺に浮かぶ夫婦岩(めおといわ)は、古来より日の出遥拝所として知られており、晴れた日には遠く富士山を望むことができます。
倭姫命があまりの美しさに二度も振り返ってみたという二見浦にあるのが夫婦岩で有名な二見興玉神社。奈良時代に大江寺の境内に鎮守の神として興玉社を設けたのが始まりで、その後立石崎に遷座し、明治43年(1911)、現在地に興玉社と三宮神社を合祀し二見興玉神社となりました。現在の社殿は平成8年の造営。大注連縄(しめなわ)張神事…夫婦岩は、「日の大神」と夫婦岩沖合の猿田彦大神縁りの「興玉神石」を拝する鳥居の役目をしています。古来より、人々は二見浦に詣で、夫婦岩の間から差し昇る「日の大神」と、夫婦岩の沖合700mの海中に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石と伝えられる「興玉神石(おきたましんせき)」 を拝してきました。
古来から伊勢神宮に参拝する際に、その前に二見浦で禊を行うのが慣わしでした。この二見興玉神社は、海の水に浸かり身体を清める、禊(みそぎ)(沐浴)をする場所なのです。現在では無垢鹽草(むくしおぐさ)=(海草アマモ)で身を清めるお祓いを受ける「浜参宮」が一般的ですが、海の水に浸かり禊をする人々も少なくないとのことです。神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持ち行事への参加者は浜参宮を行います。


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▶JR二見浦駅前の鳥居

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▶一の鳥居

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▶国歌「君が代」に歌われるさざれ石

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▶二の鳥居

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▶境内には、猿田彦大神のお使いと言われる二見蛙が多数奉納されています。
境内のあちこちで蛙の像を見かける。蛙は猿田彦大神の道案内をしたとされ、古来より交通安全、善導の守護神として広く信仰されてきたという。「若返る」「無事帰る」などの祈願を請け、また、ご利益のあった人々が蛙の像を奉納するといいます。

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▶天の岩戸

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▶天の岩戸の前にあった輪注連縄

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▶手水舎

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▶手水舎の中の満願蛙

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▶夫婦岩は小学生の時の修学旅行で来ているはずなのですが、全く記憶がありません。

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▶「興玉神石」は降臨する神の依り代(よりしろ)で、常世から神が寄りつく聖なるところといわれています。夫婦岩は大きいほうが「男岩」、高さ9m、周囲39.6m。小さいほうが「女岩」、高さ4m、周囲9m。
両岩を結ぶ大注連縄(だいちゅうれんなわ)の長さは35m。男岩に16m、女岩に10m巻かれていて、その間は9mあります。

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▶夫婦岩の上の鳥居

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▶拝殿

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▶ご本殿

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▶皇居遙拝所

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▶境内社 竜宮社
御祭神「綿津見大神(わたつみのおおかみ)」が祀られています。綿津見大神は海の守護をされる尊い神様であり、龍神を信仰される方々が全国よりお参りにこられています。

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▶日が暮れてきましたので、明日の日の出に出直すことにします。
1ヶ月前にお参りした際は日の出は雨で全くだめでした。


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▶朝5時すぎです。

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▶やや曇っていて、日の出は見れませんでしたが、まあ満足です。

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▶この後、伊勢神宮にお参りするのですが、お祓いを受けることができなかったので、無垢塩草をいただきました。

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▶御朱印。前にお参りしたときにいただいたもので、日付が違います。

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2008年6月24日 (火)

皇大神宮-伊勢神宮内宮(H20.6.21)

●皇大神宮(三重県伊勢市五十鈴川上)
皇大神宮は一般には内宮と呼ばれ、日本国民の大御親神(おおみおやがみ)と崇められ皇室の御祖神である天照大御神をお祀りしています。第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)に伊勢の地に御鎮座されました。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と言われています。

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▶宇治橋。五十鈴川にかかっていて、俗界と聖界との掛け橋といわれ檜で創られています。長さは101.8mで、向こう側にも鳥居があります。この両たもとの鳥居は旧御正殿の棟持柱を利用している。

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▶五十鈴川上流。

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▶五十鈴川下流。

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▶玉砂利の参道。

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▶火除橋と一の鳥居。

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▶五十鈴川御手洗場。参拝する前に心身を清める場所です。かつては、参拝の前に身を清めたところですが、現在でも清流の水で口をすすぎ、手を洗い清める習慣は残っています。

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▶瀧祭神。社殿はありませんが、御垣と御門があり、石畳の上に石神がお祀りしてあります。

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▶メインの参道ではなく、五十鈴川沿いの参道を行きます。

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▶風日祈宮橋。宇治橋を小さくした様な橋です。

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▶風日祈宮橋から五十鈴川。橋の上から眺める風景はまた格別です。

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▶風日祈宮。外宮の風宮と同じ天候の順調や豊作を祈る風の神を祀り、元寇に神風を吹かせたのはこの風日祈宮といわれています。

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▶さらに五十鈴川沿いの参道を行きます。

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▶正宮までもうすぐです。

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▶御正宮の前には30余段の石段があります。この石段を上ると天照大神が祀られている正宮がありますが、撮影が許されるのはこの石段の下までです。
正宮は唯一神明造、正宮を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の垣根がめぐらされています。
画像に写っているのは、一番外の板垣です。参拝者が立ち入ることが出来るのはこの鳥居をくぐった、外玉垣の南側にある「外玉垣南御門」の手前まで。

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▶正宮の敷地は東西2箇所あり、現在の正宮の西隣にこの新御敷地があります。次回は平成25年に第62回の式年遷宮が行われます。

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▶御稲御倉。御稲御倉神をお祀りしており、ここには、神宮神田より、収穫した抜穂の御稲が納められています。

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▶外幣殿。古神宝類が納められています。

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▶別宮 荒祭宮。天照大御神の荒御魂を祀っている第一の別宮です。荒御魂というのは、事にあたって動きを示す荒く猛々しい時の御魂をいいます。

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▶鶏が放し飼いにされています。

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▶非常にカラフルです。

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▶大山祇神社・子安神社の前の鳥居。

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▶手水鉢。木華開耶姫様をお祀りしているだけあって、かわいらしく花の形でした。

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▶奥から大山祇神社、子安神社。

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▶子安神社。お稲荷さんのように安産祈願・子宝祈願に鳥居を奉納するのが習慣なのでしょうか?

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▶最後に、御饌殿で商売繁盛のご祈祷をして頂きました。

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▶内宮御朱印。前に参拝した際に頂いたもので日付が違います。

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2008年6月23日 (月)

月讀宮(H20.6.21)

●皇大神宮別宮 月讀宮(三重県伊勢市中村町742-1)
月讀宮にお祀りの月讀尊は天照大御神の弟神であります。外宮の別宮月夜見宮の御祭神と御同神であります。
最高神天照大神の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮である。
荒御霊とは、神様の御魂のおだやかなお姿を「和魂(にぎみたま)」というのに対し、時に臨んで格別に顕著な御神威を顕す御魂の働きを「荒御魂」と称えて云います。
月讀尊の御事については、日本書記の上巻に、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月讀尊をお生みになられ夜之食国(よるのおすくに)をお治めになるようにと、ご委任になられたと記されております。

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▶正門。

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▶東門。

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▶伊勢神宮のお社は、どこも立派な杜を有しており、月讀宮も参道が長くつづきます。

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▶祓所。

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▶月讀宮。月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順の正しい参拝とされていますが、あとで気付きました。全く逆の順番で参拝してしまいました。

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▶月讀荒御魂宮。

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▶伊佐奈弥宮。

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▶伊佐奈岐宮。

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▶葭原神社。

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▶月讀宮御朱印。

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倭姫宮(H20.6.21)

●皇大神宮別宮 倭姫宮(三重県伊勢市楠部町5)
倭姫命(第11代垂仁天皇皇女)は、「御杖代(みつえしろ)」として皇大御神(すめおおみかみ)に奉仕され、皇大御神を戴いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、ご神慮によって現在の地に万代不易の皇大神宮をご創建されました。「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、ご神慮を体して仕えられるお方の意です。天照坐皇大御神のご遷幸に供奉して、皇大神宮を五十鈴の川上にご創建申し上げたご功績のあった倭姫命をお祭りする皇大神宮の別宮です。大きなご事績をお残しになり、またこの伊勢の草わけの姫神であったにもかかわらず、大正時代までは、倭姫命のおかくれになった御陵墓の伝説を残すだけで、倭姫命をお祭りする宮社がなく、このことを大変残念に思い、神宮ならびに地元の宇治山田市(今の伊勢市)の人々の宮社創立の熱望が実を結び、大正12年11月5日ご鎮座がおごそかに行われました。

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▶月讀宮から倭姫宮の間の御幸道路に巨大な鳥居があります。

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▶正門。

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▶東門。

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▶表参道の鳥居をくぐると長い参道が続きます。鬱蒼と茂った立派な森が続き、苔の匂いがします。

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▶参道の突き当たりのこの階段を昇るとご社殿です。

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▶ご社殿。

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▶倭姫宮御朱印。

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豊受大神宮-伊勢神宮外宮(H20.6.21)

●豊受大神宮(三重県伊勢市豊川町279)
豊受大神宮は外宮と呼ばれ豊受大御神をお祀りしています。豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です。天照大御神のおめしあがりになる大御饌(おおみけ…食物)の守護神であり、農業をはじめ諸産業をつかさどる神とされています。御垣内の御饌殿では、毎日朝夕の二度、天照大御神に神饌をたてまつるお祭りがご鎮座以来一日も絶えることなく行われています。第21代雄略天皇の22年(西暦五世紀)に天照大御神の御神慮によって丹波の国(今の京都府北部)より、この地にお迎えしたと言い伝えられています。

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▶表参道側火除橋。防火の為に造った堀川にかけられている橋で、この橋を渡ると神域に入ります。外宮ではすべて左側通行になっており、手水舎もその関係で左側に配置されています。

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▶北御門口(裏参道)の火除橋。明治以前はこちらが正面口だったとのことですが、、伊勢市駅ができてから、現在では裏参道になっています。

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▶勾玉池は、明治22年9月に造られ、勾玉の形をしています。北側の池畔には舞楽の舞台が常設されていて、神宮観月会が仲秋の名月の宵に行われます。6月頃は花菖蒲が美しく湖畔を彩ります。

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▶参道を行きます。非常に澄んだ気に満ちています。

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▶正宮が右手に見えます。

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▶正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の垣がめぐらされています。画像に写っているのは一番外の板垣です。掘立柱に萱の屋根が特徴の神宮の建築様式は、唯一神明造と呼ばれ、弥生時代にまで遡る高床式穀倉の姿を今に伝えています。参拝者が立ち入ることが出来るのは、鳥居のむこうにある外玉垣南御門の前までです。

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▶第62回式年遷宮御敷地。

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▶多賀宮遥拝所。注連縄を張った白石敷きの一画がこの場所です。正宮・三つ石の手前に位置します。

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▶三つ石(川原祓所)。昔の祓所で、今も遷宮の川原大祓はこの場所で行われています。宮川の支流がここを流れていたから川原祓所(かわらのはらいしょ)と呼ばれていました。

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▶別宮 多賀宮。外宮第一の別宮です。高い所におまつりするから昔は、高宮とも書かれていました。

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▶別宮 土宮。

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▶別宮 風宮。元寇時に神風を吹かしたと伝えられます。

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▶下御井神社。

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▶九丈殿・五丈殿。

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▶外宮御朱印。前に参拝した際に頂いたもので日付が違います。

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月夜見宮(H20.6.21)

●豊受大神宮別宮 月夜見宮(三重県伊勢市宮後1丁目)
豊受大神宮(外宮)の別宮のひとつがこの月夜見宮。月夜見尊(つきよみのみこと)と、その荒御魂(あらみたま)の2神を祀っているところです。月夜見尊の御事については、『日本書紀』(元正天皇養老4年〈720〉奏進)の上巻に、伊邪那岐命と伊邪那美命2柱の御親神が、天照大御神をお生みになり、次に月讀尊をお生みになられ、月讀尊は夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにとご委任されたと記されております。御祭神の月夜見尊は、天照大御神の弟神で、皇大神宮別宮の月讀宮におまつりされている月讀尊と御同神でありますが、当宮では、月夜見尊の文字が用いられております。

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▶外宮の北御門から真っすぐ月夜見宮に至る宮後町の道は、昔並木があり、その道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣がありました。町の古老の伝える歌に
 宮柱建て初めしより月讀の神の生きかふ中のふる道
 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや
とあり、この道は神様の通う道であると信じられ大切にされていたようです。

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▶現在もこの道は地元の人々に「神路通り」と呼ばれ、親しまれています。

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▶外宮から伊勢市駅方面に向かう「神路通り」を歩き、突き当たりに月夜見宮が見えます。

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▶月夜見宮ご社殿。

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▶落雷にあって黒焦げになった樹の根元に石の神様が祀ってあります。

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▶朝早く、しかも小雨がぱらついているので境内は原始的な静けさが漂います。

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▶高河原神社。

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2008年5月11日 (日)

第62回神宮式年遷宮

伊勢神宮では、20年ごとに内宮・外宮の御正殿を始め全ての建物・鳥居・宇治橋を建て替え、御神宝も造り替える。そして、ご神体も新神殿に遷る。
690年の持統天皇の御代に始まり、戦国時代などの中断期を除き、平成5年の第61回式年遷宮まで連綿と20年ごと(一部延期などあり)に続けられてきている。
戦前までは神宮で最も重儀とされる式年遷宮は国をあげての最大のお祭りとされていました。
しかし、戦後はGHQの政教分離政策により、その費用の多くを国民の寄付にたよっている。

第62回神宮式年遷宮のイメージソングがあるとは知りませんでした。
また、藤井フミヤさんが曲「鎮守の里」を奉納されているのも知りませんでした。
http://www.sengu.info/song.html

この「鎮守の里」は、はじめて聞いたのにも、どこか懐かしく感動しました。
このブログも「鎮守の里」と名付けさせて頂いたのは、この曲を聴いたからでした。

神宮式年遷宮イメージソング「鎮守の里」
http://jp.youtube.com/watch?v=yT7K-vWix10&fmt=18


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