カテゴリー「神社巡り 三重」の10件の記事

2010年1月23日 (土)

伊雑宮(H21.4.13)

●伊雑宮(三重県志摩市磯部町上之郷)
伊雑宮(いざわのみや)は、皇大神宮別宮で、式内社・粟嶋坐伊射波神社二座の論社であり、志摩国一の宮でもあります。三重県志摩郡磯部町上之郷にご鎮座。天照坐皇大御神御魂をおまつりされています。創立は、約2000年前の第11代垂仁天皇の御代のことであります。延暦年間(782~806)には、すでに「天照大神遥宮」と称され、他の別宮と同様に祭祀が行われていたといいます。
皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ=皇大神宮へ奉る御供物を採る所)をお定めになるため、志摩国をご巡行の際に、伊佐波登美命が奉迎して、この地に当宮を創建して、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられています。
『万葉集』に「御食(みけ)つ国、志摩の海女ならし、真熊野の小船に乗りて、沖辺漕ぐ見ゆ」とも歌われているように、志摩の国は風光麗しく、海産物に富み、古来神宮と朝廷のご料を貢進した地です。特に漁師、海女の崇敬があつく 伊雑宮で「磯守」を受け、身につけて海に入るのが風習となっています。

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▶近鉄志摩線上之郷駅下車徒歩約3分ほどです。

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▶手水舎。内宮外宮とくらべるコンパクトサイズです。

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▶異様に根本がふくれているご神木。

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▶神饌所でしょうか?

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▶20メートル程の参道の先に、御正殿があります。

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▶御正殿

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▶伊雑宮の御神田(おみた)
伊雑宮の南に日本三大田植祭の一つといわれる御田植神事が行われる神田があります。ここで収穫される米は神宮に奉納されます。

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▶伊雑宮のご料田で、毎年六月二十四日に行われるお田植は、 香取神宮、住吉大社のお田植とともに、日本三大御田植祭として有名です。 旧礒部九村が毎年輪番の奉仕で、古式ゆかしいく典雅なお田植が行われ、当日は 大変な人出でにぎわいます。

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▶御朱印。前にお参りしたときに頂いたもので、日付が違います。

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2010年1月22日 (金)

二見興玉神社(H21.4.12-13)

●二見興玉神社(三重県度会郡二見町江575)
二見興玉神社は、729年~749年頃に創建されたと言われています。猿田彦大神と宇迦御魂大神を祀る神社です。人々は「夫婦岩」と呼ばれる二つの岩を鳥居に見立てて、沖合い660メートルに鎮座する「興玉神石(おきたましんせき)」と呼ばれる猿田彦大神ゆかりの霊石を拝し、さらに夫婦岩の間からのぼる朝日を天照大神として拝んできました。夫婦岩はその鳥居とされています。二見浦の海辺に浮かぶ夫婦岩(めおといわ)は、古来より日の出遥拝所として知られており、晴れた日には遠く富士山を望むことができます。
倭姫命があまりの美しさに二度も振り返ってみたという二見浦にあるのが夫婦岩で有名な二見興玉神社。奈良時代に大江寺の境内に鎮守の神として興玉社を設けたのが始まりで、その後立石崎に遷座し、明治43年(1911)、現在地に興玉社と三宮神社を合祀し二見興玉神社となりました。現在の社殿は平成8年の造営。大注連縄(しめなわ)張神事…夫婦岩は、「日の大神」と夫婦岩沖合の猿田彦大神縁りの「興玉神石」を拝する鳥居の役目をしています。古来より、人々は二見浦に詣で、夫婦岩の間から差し昇る「日の大神」と、夫婦岩の沖合700mの海中に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石と伝えられる「興玉神石(おきたましんせき)」 を拝してきました。
古来から伊勢神宮に参拝する際に、その前に二見浦で禊を行うのが慣わしでした。この二見興玉神社は、海の水に浸かり身体を清める、禊(みそぎ)(沐浴)をする場所なのです。現在では無垢鹽草(むくしおぐさ)=(海草アマモ)で身を清めるお祓いを受ける「浜参宮」が一般的ですが、海の水に浸かり禊をする人々も少なくないとのことです。神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持ち行事への参加者は浜参宮を行います。


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▶JR二見浦駅前の鳥居

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▶一の鳥居

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▶国歌「君が代」に歌われるさざれ石

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▶二の鳥居

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▶境内には、猿田彦大神のお使いと言われる二見蛙が多数奉納されています。
境内のあちこちで蛙の像を見かける。蛙は猿田彦大神の道案内をしたとされ、古来より交通安全、善導の守護神として広く信仰されてきたという。「若返る」「無事帰る」などの祈願を請け、また、ご利益のあった人々が蛙の像を奉納するといいます。

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▶天の岩戸

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▶天の岩戸の前にあった輪注連縄

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▶手水舎

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▶手水舎の中の満願蛙

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▶夫婦岩は小学生の時の修学旅行で来ているはずなのですが、全く記憶がありません。

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▶「興玉神石」は降臨する神の依り代(よりしろ)で、常世から神が寄りつく聖なるところといわれています。夫婦岩は大きいほうが「男岩」、高さ9m、周囲39.6m。小さいほうが「女岩」、高さ4m、周囲9m。
両岩を結ぶ大注連縄(だいちゅうれんなわ)の長さは35m。男岩に16m、女岩に10m巻かれていて、その間は9mあります。

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▶夫婦岩の上の鳥居

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▶拝殿

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▶ご本殿

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▶皇居遙拝所

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▶境内社 竜宮社
御祭神「綿津見大神(わたつみのおおかみ)」が祀られています。綿津見大神は海の守護をされる尊い神様であり、龍神を信仰される方々が全国よりお参りにこられています。

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▶日が暮れてきましたので、明日の日の出に出直すことにします。
1ヶ月前にお参りした際は日の出は雨で全くだめでした。


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▶朝5時すぎです。

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▶やや曇っていて、日の出は見れませんでしたが、まあ満足です。

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▶この後、伊勢神宮にお参りするのですが、お祓いを受けることができなかったので、無垢塩草をいただきました。

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▶御朱印。前にお参りしたときにいただいたもので、日付が違います。

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2008年6月24日 (火)

世木神社(H20.6.21)

●世木神社(三重県伊勢市吹上1丁目2-6)
世木神社の西側に他の神社にはない、お祓所があります。天皇の勅使や神宮祭主が伊勢神宮に参拝されるとき、神宮司庁がこの場所に幄屋(あくのや、参加者のための仮屋)を建て、お祓いの儀式が行われました。古来この地は、宮川の支流がたくさん流れており、その水流は豊かで五十鈴川のようにきれいな流れでありました。そのため伊勢神宮を参拝する前にこの清き流れで身の穢れをお祓いし、神宮のご神意域へ入るという習いができたようです。そのお祓いをする場所が世木神社のお祓所なのです。
「世木」は、水をせき止める堰に由来する名。上古以来、宮川の分流豊川をせきとめて用水とする堰があったので、この地が「世木」と呼ばれました。主祭神の天牟羅雲命は、この地の豪族で代々外宮の祢宜をつとめる渡会氏の遠祖とされる神ですが、その度会一族の一つがこの世木村に住み世木氏を名乗って本社を氏神とし、又治水を祈ってきました。創始の年代は不詳ですが、この世木氏の氏神であった光明寺(現岩淵三丁目)に残る古文書は、鎌倉時代のこの地の盛行を語っています。しかし、十五世紀中葉、この世木氏が他の土地に移住していくと、社は残った村人達の氏神となりました。明治四十一年、周辺の藤里や岩淵にあった渡会氏関係の社はここに合祀され、世木坐渡会氏神社となり今に至りました。

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▶伊勢市駅を降りるとすぐに見えます。

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▶拝殿。

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▶拝殿からご本殿。

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▶三吉稲荷神社。

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猿田彦神社(H20.6.21)

●猿田彦神社(三重県伊勢市宇治浦田2-1-10)
猿田彦大神は孫降臨の折に伊勢の地で天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)を御案内された後、伊勢の地を中心に国土の開拓・経営に尽くされた地主神。また大神の御裔の大田命は、皇女倭姫命が神宮御鎮座の地を求めて巡歴されたときに五十鈴の川上の地をたてまつり、伊勢の神宮が創建されたと伝えられます。猿田彦大神は「ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へおみちびきになる大神」とあります。すべてのことに先駆け、人々を善い方へ導き、世の中の行方を開く「みちひらき」の神として信仰を集めています。

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▶子宝家。池畔には神代の昔から子々孫々継承し続けて絶えない宇治土公家の産霊神が奉祀されています。

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▶なにか謂れのありそうな岩です。

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▶方位石。拝殿正面の中央に昔の神殿跡を印し、方角を刻んだ八角の石柱があります。八角は方位を意味し、方位除の御神徳を仰ぐ猿田彦神社にちなんだものです。本殿の堅魚木・欄干をはじめ、佐瑠女神社神殿・大鳥居・手水舎の柱などは、すべて八角となっています。

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▶拝殿。

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▶突然、雨が激しくなりました。

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▶佐瑠女神社。天照大御神が天岩窟(あめのいわや)にこもられたときに神楽をされ、大御神再び現れて平和な世を迎えられたと伝えられます。天孫降臨の際は猿田彦大 神と最初に対面、大神が御啓行の後は詔(みことのり)により、ともに伊勢に来られ、功により、媛女君(さるめのきみ)の称号を受けられました。俳優 (わざおぎ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神(おやがみ)と仰がれます。

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▶ご本殿も八角形。

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▶猿田彦神社御朱印。

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皇大神宮-伊勢神宮内宮(H20.6.21)

●皇大神宮(三重県伊勢市五十鈴川上)
皇大神宮は一般には内宮と呼ばれ、日本国民の大御親神(おおみおやがみ)と崇められ皇室の御祖神である天照大御神をお祀りしています。第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)に伊勢の地に御鎮座されました。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と言われています。

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▶宇治橋。五十鈴川にかかっていて、俗界と聖界との掛け橋といわれ檜で創られています。長さは101.8mで、向こう側にも鳥居があります。この両たもとの鳥居は旧御正殿の棟持柱を利用している。

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▶五十鈴川上流。

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▶五十鈴川下流。

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▶玉砂利の参道。

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▶火除橋と一の鳥居。

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▶五十鈴川御手洗場。参拝する前に心身を清める場所です。かつては、参拝の前に身を清めたところですが、現在でも清流の水で口をすすぎ、手を洗い清める習慣は残っています。

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▶瀧祭神。社殿はありませんが、御垣と御門があり、石畳の上に石神がお祀りしてあります。

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▶メインの参道ではなく、五十鈴川沿いの参道を行きます。

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▶風日祈宮橋。宇治橋を小さくした様な橋です。

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▶風日祈宮橋から五十鈴川。橋の上から眺める風景はまた格別です。

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▶風日祈宮。外宮の風宮と同じ天候の順調や豊作を祈る風の神を祀り、元寇に神風を吹かせたのはこの風日祈宮といわれています。

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▶さらに五十鈴川沿いの参道を行きます。

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▶正宮までもうすぐです。

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▶御正宮の前には30余段の石段があります。この石段を上ると天照大神が祀られている正宮がありますが、撮影が許されるのはこの石段の下までです。
正宮は唯一神明造、正宮を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の垣根がめぐらされています。
画像に写っているのは、一番外の板垣です。参拝者が立ち入ることが出来るのはこの鳥居をくぐった、外玉垣の南側にある「外玉垣南御門」の手前まで。

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▶正宮の敷地は東西2箇所あり、現在の正宮の西隣にこの新御敷地があります。次回は平成25年に第62回の式年遷宮が行われます。

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▶御稲御倉。御稲御倉神をお祀りしており、ここには、神宮神田より、収穫した抜穂の御稲が納められています。

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▶外幣殿。古神宝類が納められています。

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▶別宮 荒祭宮。天照大御神の荒御魂を祀っている第一の別宮です。荒御魂というのは、事にあたって動きを示す荒く猛々しい時の御魂をいいます。

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▶鶏が放し飼いにされています。

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▶非常にカラフルです。

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▶大山祇神社・子安神社の前の鳥居。

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▶手水鉢。木華開耶姫様をお祀りしているだけあって、かわいらしく花の形でした。

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▶奥から大山祇神社、子安神社。

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▶子安神社。お稲荷さんのように安産祈願・子宝祈願に鳥居を奉納するのが習慣なのでしょうか?

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▶最後に、御饌殿で商売繁盛のご祈祷をして頂きました。

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▶内宮御朱印。前に参拝した際に頂いたもので日付が違います。

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2008年6月23日 (月)

月讀宮(H20.6.21)

●皇大神宮別宮 月讀宮(三重県伊勢市中村町742-1)
月讀宮にお祀りの月讀尊は天照大御神の弟神であります。外宮の別宮月夜見宮の御祭神と御同神であります。
最高神天照大神の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮である。
荒御霊とは、神様の御魂のおだやかなお姿を「和魂(にぎみたま)」というのに対し、時に臨んで格別に顕著な御神威を顕す御魂の働きを「荒御魂」と称えて云います。
月讀尊の御事については、日本書記の上巻に、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月讀尊をお生みになられ夜之食国(よるのおすくに)をお治めになるようにと、ご委任になられたと記されております。

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▶正門。

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▶東門。

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▶伊勢神宮のお社は、どこも立派な杜を有しており、月讀宮も参道が長くつづきます。

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▶祓所。

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▶月讀宮。月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順の正しい参拝とされていますが、あとで気付きました。全く逆の順番で参拝してしまいました。

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▶月讀荒御魂宮。

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▶伊佐奈弥宮。

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▶伊佐奈岐宮。

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▶葭原神社。

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▶月讀宮御朱印。

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倭姫宮(H20.6.21)

●皇大神宮別宮 倭姫宮(三重県伊勢市楠部町5)
倭姫命(第11代垂仁天皇皇女)は、「御杖代(みつえしろ)」として皇大御神(すめおおみかみ)に奉仕され、皇大御神を戴いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、ご神慮によって現在の地に万代不易の皇大神宮をご創建されました。「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、ご神慮を体して仕えられるお方の意です。天照坐皇大御神のご遷幸に供奉して、皇大神宮を五十鈴の川上にご創建申し上げたご功績のあった倭姫命をお祭りする皇大神宮の別宮です。大きなご事績をお残しになり、またこの伊勢の草わけの姫神であったにもかかわらず、大正時代までは、倭姫命のおかくれになった御陵墓の伝説を残すだけで、倭姫命をお祭りする宮社がなく、このことを大変残念に思い、神宮ならびに地元の宇治山田市(今の伊勢市)の人々の宮社創立の熱望が実を結び、大正12年11月5日ご鎮座がおごそかに行われました。

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▶月讀宮から倭姫宮の間の御幸道路に巨大な鳥居があります。

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▶正門。

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▶東門。

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▶表参道の鳥居をくぐると長い参道が続きます。鬱蒼と茂った立派な森が続き、苔の匂いがします。

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▶参道の突き当たりのこの階段を昇るとご社殿です。

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▶ご社殿。

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▶倭姫宮御朱印。

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豊受大神宮-伊勢神宮外宮(H20.6.21)

●豊受大神宮(三重県伊勢市豊川町279)
豊受大神宮は外宮と呼ばれ豊受大御神をお祀りしています。豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です。天照大御神のおめしあがりになる大御饌(おおみけ…食物)の守護神であり、農業をはじめ諸産業をつかさどる神とされています。御垣内の御饌殿では、毎日朝夕の二度、天照大御神に神饌をたてまつるお祭りがご鎮座以来一日も絶えることなく行われています。第21代雄略天皇の22年(西暦五世紀)に天照大御神の御神慮によって丹波の国(今の京都府北部)より、この地にお迎えしたと言い伝えられています。

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▶表参道側火除橋。防火の為に造った堀川にかけられている橋で、この橋を渡ると神域に入ります。外宮ではすべて左側通行になっており、手水舎もその関係で左側に配置されています。

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▶北御門口(裏参道)の火除橋。明治以前はこちらが正面口だったとのことですが、、伊勢市駅ができてから、現在では裏参道になっています。

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▶勾玉池は、明治22年9月に造られ、勾玉の形をしています。北側の池畔には舞楽の舞台が常設されていて、神宮観月会が仲秋の名月の宵に行われます。6月頃は花菖蒲が美しく湖畔を彩ります。

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▶参道を行きます。非常に澄んだ気に満ちています。

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▶正宮が右手に見えます。

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▶正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の垣がめぐらされています。画像に写っているのは一番外の板垣です。掘立柱に萱の屋根が特徴の神宮の建築様式は、唯一神明造と呼ばれ、弥生時代にまで遡る高床式穀倉の姿を今に伝えています。参拝者が立ち入ることが出来るのは、鳥居のむこうにある外玉垣南御門の前までです。

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▶第62回式年遷宮御敷地。

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▶多賀宮遥拝所。注連縄を張った白石敷きの一画がこの場所です。正宮・三つ石の手前に位置します。

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▶三つ石(川原祓所)。昔の祓所で、今も遷宮の川原大祓はこの場所で行われています。宮川の支流がここを流れていたから川原祓所(かわらのはらいしょ)と呼ばれていました。

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▶別宮 多賀宮。外宮第一の別宮です。高い所におまつりするから昔は、高宮とも書かれていました。

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▶別宮 土宮。

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▶別宮 風宮。元寇時に神風を吹かしたと伝えられます。

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▶下御井神社。

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▶九丈殿・五丈殿。

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▶外宮御朱印。前に参拝した際に頂いたもので日付が違います。

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月夜見宮(H20.6.21)

●豊受大神宮別宮 月夜見宮(三重県伊勢市宮後1丁目)
豊受大神宮(外宮)の別宮のひとつがこの月夜見宮。月夜見尊(つきよみのみこと)と、その荒御魂(あらみたま)の2神を祀っているところです。月夜見尊の御事については、『日本書紀』(元正天皇養老4年〈720〉奏進)の上巻に、伊邪那岐命と伊邪那美命2柱の御親神が、天照大御神をお生みになり、次に月讀尊をお生みになられ、月讀尊は夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにとご委任されたと記されております。御祭神の月夜見尊は、天照大御神の弟神で、皇大神宮別宮の月讀宮におまつりされている月讀尊と御同神でありますが、当宮では、月夜見尊の文字が用いられております。

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▶外宮の北御門から真っすぐ月夜見宮に至る宮後町の道は、昔並木があり、その道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣がありました。町の古老の伝える歌に
 宮柱建て初めしより月讀の神の生きかふ中のふる道
 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや
とあり、この道は神様の通う道であると信じられ大切にされていたようです。

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▶現在もこの道は地元の人々に「神路通り」と呼ばれ、親しまれています。

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▶外宮から伊勢市駅方面に向かう「神路通り」を歩き、突き当たりに月夜見宮が見えます。

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▶月夜見宮ご社殿。

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▶落雷にあって黒焦げになった樹の根元に石の神様が祀ってあります。

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▶朝早く、しかも小雨がぱらついているので境内は原始的な静けさが漂います。

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▶高河原神社。

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椿大神社(H20.6.20)

●椿大神社(三重県鈴鹿市山本町字御旅1871)
椿大神社は「だいじんじゃ」ではなく「おおかみやしろ」と読みます。三重県鈴鹿市に鎮座される伊勢国一の宮であり、猿田彦大神をお祀りする総本宮です。
伊勢平野を見おろす鈴鹿山系の中央部に位置する高山入道ヶ嶽・短山椿ヶ嶽の麓に鎮座し、鈴鹿側支流の御幣川が形成する扇状地の根元に鎮座し、鬱蒼たる杉木立のなかに鎮座している。
昭和初期に内務省神社局によって全国2000社のサルダヒコ神を祀る総本宮であることが再確認され、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。「国幣大社」列格の手続きが開始され国幣大社の内示を受けるが大東亜戦争の為に列格は中断。昭和10年3月に警視庁は当社分霊を奉斎して国民守護・導きの祖神とし、現在の警視庁も交通安全の神として引き継いでいます。 
神代より高山入道ヶ嶽・短山椿ヶ嶽山中で営まれていた猿田彦祭祀であったが、垂仁天皇の皇女である倭姫命の神託によって猿田彦神陵前方の「御船磐座(みふねのいわくら)」に伊勢開拓神であるサルダヒコ神を主神としてニニギ尊・タクハタチチヒメ命を相殿に祀った社殿を造営したことにはじまるという。サルダヒコ神の神裔であり神世から祭祀してきた山本神主家は当社を拠点に伊勢地方を掌握していたが、垂仁天皇の代(垂仁天皇27年)に伊勢の皇大神宮鎮座にあたって、奉仕したのがサルダヒコ神の末裔とされる大田命(伊勢の猿田彦神社)であり、以来伊勢神宮と密接な関係にあった。
当社創建以来、山本神主家は代々「猿田彦命」を襲名していたが、崇神天皇のころに神名使用を禁じられたために「行満」(修験神道)と称し山本家の祖先神となったという。仁徳天皇の御霊夢によって「椿」に名を社名とし、光孝天皇仁和年間に「伊勢一の宮」、そして醍醐天皇期に「延喜式内小社」に列格。中世期は一の宮として発展し、また仏教の影響も受け、修験もさかんとなる。
風水師、李家幽竹さんの著書「新版 絶対、運が良くなる旅行風水」において、日本国内で最強レベルのパワースポットと紹介されております。
経営の神様とも称えられる、松下電器産業株式会社の創始者の松下幸之助氏との御神縁も深く、境内の日本庭園と共に寄進された茶室「鈴松庵」も有名です。

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▶手水舎とご神木。

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▶カエルでした。

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▶庚龍神社。

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▶獅子堂(交通安全祈祷殿)。聖武天皇敕願奉納の獅子頭に由来し、日本最古の獅子舞を伝えている。1300年前に伝えられた獅子舞ということです。

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▶参道をまっすぐ行くとご本殿ですが、右に進みます。

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▶地蔵堂(椿延命地蔵尊と有縁無縁供養塔)。

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▶行満堂神霊殿・鈴鹿七福神霊場。

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▶松下幸之助社と思っていましたが、違いました。祭神は不明です。

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▶松下幸之助氏が寄進された茶室「鈴松庵」。

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▶君が代に歌われた「さざれ石」。

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▶参道に戻ります。昼の2時とは思えないです。

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▶御船磐倉。ニニギ尊らが御船でサルダヒコ神に導かれ、この場所にご到着したという。

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▶断りの鳥居。江戸期の神戸(鈴鹿)城主が境内の御神木を伐採して城を築き、完成後一夜で炎上。神威をおそれて奉納したという。

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▶大黒天様と恵比寿神様。

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▶高山土公神御陵。境内にある前方後円墳。

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▶別宮椿岸神社。猿田彦大神の妻神・天之鈿女命が主祭神として祀られており、全国の天之鈿女命の総本宮でもあります。 ご事績により芸道の祖神として信仰され、また鎮魂の神、夫婦円満の神、縁結びの神として崇敬されています。

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▶椿岸神社は、「つばきぎしじんじゃ」と読みます。こちらは「かみやしろ」とは言わないんですね。

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▶芸能関係の方の奉納も多くありました。

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▶椿岸神社拝殿。

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▶拝殿からご本殿。

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▶拝殿前に置かれていた「神招福臼」。3回搗いてお祈りするらしい。

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▶李家幽竹さんの記事も置かれていました。

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▶上の李家さんの雑誌の記事で椿恋みくじは絶対引いてみて。とありましたので年甲斐もなく引いてみました。かわいいおみくじです。

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▶開けると巫女さんのチャームが入っていました。内容も普通のおみくじと違って具体的でした。女の子向けなんでしょうね。

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▶いきなり激しい雨が降ってきました。

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▶李家先生曰く、拝殿右のこのプチ滝を撮影すると恋愛運が訪れるらしい。携帯の待受画面にするといいらしい。ほんまかいな。

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▶ということで、プチ滝の写真をいくつか。

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▶このプチ滝のお水を頂きましたが、本当に美味しかったです。

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▶扇塚。扇は、古来神を招ぎ奉るものとして芸道を志す方の心のよりどころとされ、古くなった扇を感謝の心を込めて、この塚に納めていただきます。

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▶招福の玉。

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▶縣主神社。

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▶椿護国神社。

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▶茅の輪。夏越の大祓の準備がされていました。茅と葦で作った大きな輪、茅の輪はそれをくぐることにより、疫病や罪・穢れが祓われるといわれています。「夏越の大祓」は、正月から6月までの半年間の罪穢を祓い、梅雨の時期に多い流行病や疫病にかからず、暑い夏を健康で暮らせるようにと古くより変わらずに伝えられてきている神事です。

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▶拝殿。

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▶拝殿を左から。

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▶拝殿から茅の輪。

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▶拝殿からご本殿。

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▶金龍明神の滝。先ほどの椿岸神社のプチ滝の川上にあります。神社後方の神山入道ヶ嶽を源とした大明神川からのこの金龍明神の滝は、お祓いご祈祷を受けないと入れません。この滝の水は、神水とされ、清く柔らかで昔より万病に効く薬水とされています。この滝では毎月11日にはみそぎ修法会が行われています。

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▶この金龍明神の滝の写真も何枚か。プチ滝よりこちらの金龍明神の滝の写真の方がありがたく感じます。

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▶椿大神社御朱印。

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