越木岩神社(H20.7.21)
●越木岩神社(西宮市甑岩町5-4)
越木岩神社は、創立不詳と言われるほど遠く古代より信仰を集めており、千年以上昔に編纂された延喜式神名帳に大国主西神社と記されているのがこの神社であろうと言われています。正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦二年(1656年)に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称しました。元々は当地にある甑岩等の磐座を祀ったもの。甑(こしき:セイロ)に似ていることから甑岩と呼ばれています。蛭児大神を勧請してから、甑岩は岩社として祀られています。
▶境内にはヒメユズリハ群落、スダシイ=ヤブコウジ群落などの暖帯林が茂っていて、これらは大変貴重なもので、県の天然記念物に指定されています。
▶蛭子大神宮。現在のご本殿は昭和11年に、拝殿は昭和58年に造営されました。
▶拝殿の左側に脇道があり、そこを行きますと、神の宿るという巨大な霊石「甑岩(こしきいわ)」につきます。
▶この巨岩は、その形状から子授けの神様、安産の神様としても信仰され、全国的に知られています。周囲約40m・高さ10mの大岩。酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩(こしきいわ)」と名づけられ、昔から信仰の対象とされてきました。今から400年ほど前、豊臣秀吉が大阪城・築城に際し、城の石垣にする石を送るようにと全国の大名に命じます。この岩に目を付けたある大名が、人々の制止にも耳を貸さず、家来に命じて切り出しにかかったところ、ある日ノミを打ち込んだ岩の割れ目から白い煙が立ち昇り、それを吸った石切職人達は手足を震わせ、苦しみもだえて斜面をころがり落ち、やがて息絶えたそうで、即刻、石の切り出しは中止されたとも伝えられています。
▶池田備中守長幸家紋。大阪城築城のために切り出そうとしていたときの城主の刻印。
▶結局どうしても運び出せなかったそうで、境内に今でも当時の残岩が残っています。
▶稲荷社。白玉稲荷・大崎稲荷(伏見稲荷大社の御分霊)をお祀りしています。当社の大崎稲荷のお稲荷さんは、世間一般のキツネではなく、タヌキがお守りされているそうです。
▶遥拝所。ここから伊勢神宮・宮中三殿、皇居にある賢所(かしこどころ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)・各社を遥拝できます。
▶甑不動明王。ずいぶん以前から鎮座されていたようです。平成6年末、上半身の盗難にあい、平成9年に、現在のものに新調されました。今でも、後本体の背後に下半身のみのお姿が残っています。どちらも千葉の成田さんに抜魂・入魂をしていただいているそうです。
▶罔象免(みずはのめ)神社。罔象免大神(大古より湧き出でる霊水)をお祀りしています。境内のMapには水神社と記載されていました。松尾芭蕉も、この地を訪れ、『さざれ蟹 足這い上がる 清水かな』と詠いました。このご神水は、随分昔から(室町時代)病気に効能があると、汲みに来て飲用し、直ったと言う話が伝わっているそうです。今でも、飲用される方や、家の周囲にまく方、中にはうどん屋さんが釜の中に数滴入れて茹でると何とも言えないいい味が出るようになり、子授かりにも効果があったと言う話もあるそうです。
▶甑岩からさらに奥にいくと貴船社があります。越木岩神社のHPでは雨乞社と記載されています。
▶貴船社。貴船大神・龍神をお祀りしています。六甲山に残る「石の宝殿」を遥拝する祠とされています。祠の裏に長さ数mもある巨石群が、山のように積み重なっています。
▶古社 稚日女尊宮(わかひのめのみことのみや)。明らかに岩石信仰の残る場所で社境内の中でも最も最奥部にあります。ご神体甑岩が女性神で、境内地内における陰陽対称として崇めたてられている。男性神という説もあります。ここは北の磐座とも呼ばれています。
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