●難波八阪神社(大阪府大阪市浪速区元町2-9-19)
難波八坂神社ではなく難波八阪神社が正式な名前らしいです。古来、難波一帯の産土神として信仰を集め、かつては七堂伽藍、子院十二坊を有する繁栄ぶりだったが、兵火に遭い、衰退。明治維新後、神仏分離で寺は廃絶し、昭和20年の空襲で社殿も焼失しました。現在の社殿は戦後に再建されたものです。巨大な獅子頭をかたどった高さ12m、幅11m、奥行10mの絵馬殿がとくに目を引きます。毎年1月第3日曜日に行なわれる綱曳神事は、祭神の素戔鳴尊が八岐大蛇を退治し、民の困苦を除いたという故事に基づいて始められたもの。平成13年に大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されました綱引き(綱曳)が開催されます。これは素戔鳴尊が八岐大蛇を退治した故事に由来してるそうです。7月には、「船渡御」と「獅子舞」があります。獅子舞は、この難波八阪神社では夏のイベント。戦前は4頭の獅子が200人のカルサン姿(だぶだぶズボンの南蛮服)の踊り子を連れて踊り回ったそうです。

▶正門。

▶東門。



▶お祭りの準備なのでしょうか?境内にテントが張ってあって、神輿がありましたが、作業をしている人は誰もいません。

▶拝殿。

▶拝殿からご本殿。

▶さすが大阪っていう感じです。獅子舞に命かけてる神社だけに、こんな巨大な獅子頭を作ってしまったんでしょうね。これが昭和49年に作られた絵馬殿で大獅子殿というそうです。高さ12m幅11m奥行き10m。口の中が舞台になっていて、夏祭りや神事の際には、奉納舞などが行われているそうです。

▶右から皇大神社、市杵島神社、三法荒神社、稲荷神社。

▶境内摂社。祭神等はわかりませんでした。

▶戦艦陸奥主砲抑気具記念碑。

▶祇園の文字も見えます。

▶ご社殿の間に対にありましたが、なんの碑かわかりません。

▶殉国之碑。

▶篠山神社。

▶難波八阪神社御朱印。
●敷津松之宮(大国主神社)(大阪市浪速区敷津西1丁目2番)
正式には「敷津松之宮大国主神社」と呼ばれます。社伝によれば、神功皇后が三韓を平定されて住吉大社に凱旋報告のため、敷津浦を航海されたとき、敷津浜に荒い波がうちよせられるのを見られ、松の木を渚に三本植え、素戔鳴尊をお祀りになり航海の安全を祈られたことから「松之宮」と呼ばれたとあります。1600年以上の歴史を誇る古い神社です。1744年、今宮戎神社が「えびす様」なら「大黒様」が無いと纏まらないということで、今宮戎神社に近い敷津松之宮の中に摂社として「大国主神社」が勧請されています。
大国主神社としての歴史は、比較的新しいものであるが、商売繁盛の神として、東は今宮の戎さん、西は木津の大黒さんと親しまれ、江戸期の10日戎では「戎大黒、両社詣でて本参り」と言われていたようです。神功皇后が松の木を植え、荒れる海の安全を祈った「松之宮」と、“木津の大国さん”の「大国主神社」が相殿となっています。

▶南側の正門には「敷津松之宮」と社額があります。

▶東門には「大国主神社」と書かれています。

▶南側の鳥居から入ると正面が敷津松之宮の本殿。東側から入ると正面が大国主神社の本殿ということで境内で参道がクロスしてます。同じ境内に二つの神社があって、入り口の名前が別々になってるってまるで二世帯住宅みたいです。素盞嗚尊と大国主命は親子ですし、まさに二世帯神社です。

▶敷津松之宮拝殿。

▶敷津松之宮拝殿からご本殿。

▶大国主神社ご社殿。大国様は、狛犬の代わりを「ねずみ」が勤めています。

▶ご社殿内の大国様。

▶楠稲荷社。

▶白龍明神社。隣の楠は明治百年記念樹とありましたが、明治は45年間だったのに、なんで百年なのか解りませんでした。

▶手水舎。

▶ご神岩なのでしょうか?細い注連縄が巻かれていました。もう古くて注連縄か単なるひもかは解りませんでした。

▶木津勘助像。関西人なら誰でも知っている放送作家・新野新さんの祖父が建てたらしいですが戦時中に供出され、戦後、父嘉雄さんが再建された。新野新さんも敷津にお住いとラジオでお話しされていたような記憶があります。
木津勘助は大阪の伝説的な英雄で、豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽くしました。徳川時代に木津川の開削により大阪の発展に寄与した功績とともに、寛永16年(1639年)に近畿一円が冷害にみまわれ大飢饉の様相を呈したとき、米(大阪城の備蓄米)放出を願い出ましたが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えました。それも限度がありついに「お蔵破り」を決行したことなどから今なお敬愛されています。
木津勘助に関してはこちらのルルさんのブログで詳しく書かれています。
http://salon.stage007.com/header1000011/dream/1019964/archive/17/

▶敷津松之宮(大国主神社)御朱印。
●今宮戎神社(大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10)
大阪の商売の神様として有名な神社。聖徳太子が四天王寺を建立したときに同地西方の鎮護として祀ったのが始めと伝えられ、天照皇大神・事代主命・外三神を祭神としています。1月9・10・11日の三日間の「十日戎」には約100万人の参詣者が訪れます。そう広くないこの境内に3日間で100万人というのは想像を絶する混雑ぶりなのでしょうね。十日戎は西宮戎と堀川戎しかお参りしたことがないもので、来年は今宮戎にもお参りしたいと思います。
毎年選ばれる十日戎の福娘は全国的に有名で藤原紀香さんも今宮戎の福娘でした。この福娘に採用されるといい縁談にめぐまれたり、いい仕事につけたりするという評判を呼び、毎年相当数の応募があり、競争率80倍以上の難関なのです。福娘発表会はテレビ番組として収録され年末に放送されます。

▶正門。


▶正門を入ると正面にご社殿ですが、ちょっと微妙にズレています。

▶参道?この写真の手前が正門ですが、これも正面が正門でなくちょっとズレています。

▶拝殿。

▶拝殿からご本殿。

▶大国社。

▶ご本殿横から。

▶ご本殿裏から。

▶稲荷社。

▶株式会社クボタの献灯。鳥居もクボタの奉納でした。クボタ創業者久保田権四郎氏の今宮戎神社への崇敬が非常に篤かったようです。
グボタさんは創業の地、大阪市浪速区敷津東に今も本社を構えておられます。

▶今宮戎神社御朱印。前に参拝したときにいただいたもので日付が違います。