堂島薬師堂(H20.7.27)
●堂島薬師堂(大阪市北区堂島1-6-20)
大阪駅から南に約500メートル行ったところにある北新地の西側、高層ビル「堂島アバンザ」の敷地にあるミラーガラスを127枚組み合わせた直径7mの球状の不思議な建物。 ここは、1400年以上の歴史の由緒ある堂島薬師堂です。
薬師堂とは、薬師如来を安置した御堂のことで、薬師如来とは、人々の病気を治し、安楽を得させる仏様。仏教の伝来以後、治病の仏として庶民に広く信仰されてきました。そんな薬師如来を安置した堂島薬師堂は、聖徳太子の時代に建立されたと伝えられています。また、元々この堂島辺りは、中洲でそこにこのお堂があったため、「堂島」の地名になったとも言われています。しかし、戦後、毎日新聞社が増築した際、敷地内に祀られていた薬師堂を敷地東向いの社有地に移設しました。平成11年に毎日新聞社屋跡に堂島アバンザを建設する際、奈良の薬師寺や地元の要請があり、再び元の場所に戻りました。
以前の御堂は瓦屋根の日本的な建物でしたが、新しい御堂はミラーガラスと石で構成した現代的なビルと調和を図るためモダンにデザインされました。形はミラーガラス127枚を組み合わせた直径7mの球状です。これにもちゃんと理由があり、球体は無限に広がる宇宙や天体、そして如来像の永久的なイメージを感じさせます。外装の黄金色のガラスは、御本尊として祀っている薬師瑠璃光如来にあやかっています。「瑠璃」は「ガラス」の意味があります。御堂の周囲には水鏡のような円形の池(直径20m)を巡らせ、池には蓮の花を模したオブジェをあしらうなど、様々な工夫が凝らされています。堂島薬師堂奉賛会から寄贈された「合掌」をモチーフとした燭台アートを設置、さらに欄干を兼用したベンチを設けています。御堂の下から霧を発生させ、夜間は池の照明を幻想的な空間となっています。平成16年3月19日に行なわれた第1回堂島薬師堂「お水汲み祭り」では、薬師堂の僧侶によって祈祷され、お香水で清められた竹筒護符が配られ、春と福を呼ぶ祭事が復活しました。
堂島は江戸時代には米市が設置され、現在は高層ビルが建ち並ぶオフィス街。そんな堂島で、薬師堂は栄枯盛衰を繰り返し、そして現在も月2回の法要があり、節分の日に、厄払いと鬼追い行事を行っています。普段でもお参りする人もいて、大変親しまれています。私の会社も堂島なのですが、本日はじめてお参りさせていただきました。
▶堂島アバンザ。堂島薬師堂は、この堂島アバンザの敷地の東側。新地の繁華街の西側に位置します。
▶今も月2回、奈良薬師寺僧侶による法要が行われています。この案内板の裏に堂島薬師堂由来がかかれてあります。
堂島薬師堂 由来
西暦593年、推古朝のころの史料に「東は玉造り四天王寺をつくり、西の方州の中に御堂を建立」の記録があるという。また、延宝三年(1675年)に書かれた古文書「芦別船(あしわけぶね)」にも「聖徳太子が四天王寺創建時に、建築用材の運搬船が暴風雨で難破、州の中に流れつき、お堂を建てた」との記述があり、これが薬師堂の起源と言われている。
海上を航行する船から、このお堂がよく見えたところから薬師堂のある島が「堂島」の地名になったとも言われている。お堂内には、薬師如来像、地蔵菩薩像、弘法太師像など仏像4体と、ねはん図など軸二本がおまつりしてある。薬師如来像は室町時代の作と鑑定されているが、その由来は定かでない。また、弘法太師像は薬師如来像よりも歴史が古いと伝えられており、明治26年(1893年)からの大阪太師詣りの行事では薬師堂を第一番の霊場として、1日数十万人の参詣者で賑わうほどであった。
堂島薬師堂は堂島の世相、経済と連動しながら栄枯盛衰を繰り返し、現在は、月2回の法要と、節分の日に、厄払いと鬼追い行事を行っている。
平成11年3月
▶堂島薬師堂内。ガラスの扉は普段は閉められています。薬師如来様・弘法大師様・地蔵菩薩様が祀られています。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)