« 綱敷天神社・綱敷天神社御旅社・歯神社(H20.7.5) | トップページ | 出雲大神宮(H20.7.16) »

2008年7月18日 (金)

錦天満宮から八坂神社御旅所・冠者殿社へ(H20.7.16)

●錦天満宮(京都市中京区新京極通四条上る中之町537)
錦天満宮の歴史は長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として創建されたのに始まると言われています。やがて、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転します。その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになり、明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残されました。現在幅員3メートルの錦小路は平安時代には幅員12メートルもあったそうです。
錦天満宮は俗に錦の天神さんと呼ばれ、京の台所・錦小路を東に突き当たったところにあります。にぎやかな通りにあって、周囲に負けないくらい提灯を灯した明るい神社です。新京極通に面し、錦市場の端にあるという場所柄、学問だけでなく商売繁盛にもご利益があると言われていて付近の人々の信仰も厚い。

Dscf7503_800_2
▶新京極通に面し、錦市場の端に鎮座されています。

Dscf7480_800

Dscf7481_800

Dscf7482_800
▶寺町京極に面してこの一の鳥居があるのですが、隣のビルの2階に鳥居の端が建物に食い込んでいます。区画整理の際に道路の幅だけみて、鳥居の幅を考えなかったようです。昔なら屋根が低くてどうという事もなかったのでしょうね。

Dscf7500_800

Dscf7501_800

Dscf7496_800
▶神牛の像。多くの天満宮にはつきものなのですが、これはご祭神である菅原道真公が丑年に産まれた事に由来しているのだとか。道真公が太宰府で亡くなったとき、そのご遺体を牛車で運ぼうとしたのですが、途中で牛がどうしても動かなくなり、これを道真公のご意志と解釈してその地に埋葬しました。そこが現在の太宰府天満宮となった事から、牛を道真公の使いとするのだそうです。この神牛の像の頭や腰の色が変わっているのは、この像をなでるとその部分が良くなるとされているからです。大勢の人の願いが籠もっているのですね。

Dscf7491_800
▶牛の奥にある苔むした石組は、京都の名水にも選ばれたという「錦の社御香水」とも「錦の水」と呼ばれる名水が湧き出ています。これほど便利な場所にある名水も珍しく、遠くから汲みに来る人も多いようです。保健所お墨付きの飲用できる名水。

Dscf7492_800
▶手水舎。こちらも「錦の水」が湧き出ています。

Dscf7490_800
▶人が近づくと、神楽が鳴り出し獅子舞が始まり、お金を投入すると獅子がみくじを選ぶという「からくりみくじ」。金みくじ・和英文みくじ・和英文花みくじ・恋みくじ・こどももくじ・よろこびみくじの6種類あります。

Dscf7498_800
▶拝殿。

Dscf7489_800
▶拝殿内部。

Dscf7488_800
▶塩竈神社。

Dscf7486_800
▶日の出稲荷神社。

Dscf7485_800
▶白太夫神社。

Dscf7484_800
▶七社(八幡神社・床浦神社・市杵島神社・熊野神社・事比良神社・竈神社・恵美須神社)。


●八坂神社四条御旅所・冠者殿社(京都市下京区四条通寺町東入ル)
一般的に祇園祭といえば豪華で見応えのある7月17日の山鉾巡行ことをさしますが、祇園祭とは八坂神社のお祭りで7月1日に祭りの無事を祈る吉符入りの祭事から始まり7月29日の神事済奉告祭まで約1ヵ月間行われるお祭です山鉾巡行の日(7月17日)に山鉾が道を清めた後夕方に八坂神社の神様を神輿にのせ、八坂神社御旅所まで運ぶという神幸祭が行われます。御旅所とは、仮の宮または離宮ともいいます祭礼の際、本宮を出た神輿を迎えて仮に祀って置く場所のことをいいます。八坂神社御旅所は日本で二番目に生誕したという歴史ある新京極商店街の南側にあります。
   
Dscf7502_800
▶錦天満宮を出て、新京極商店街を下り、四条通りを越えると八坂神社御旅所があります。

Dscf7507_800
▶八坂神社御旅所東御殿。

Dscf7504_800
▶写真の八坂神社御旅所西御殿の左側、普段は「京の品 京の心 四条センター」というおみやげ屋さんがこの期間は御旅所に変身します。

Dscf7605_800
▶おみやげ屋さんが変身した御旅所には神様が休憩に来られるまでは、祇園さんのご祈祷済のグッズを販売しています。そこで前日の夜に「ちまき」を手にいれました。袋の「ちまき」についての説明文には次のように記載されています。
祇園祭の「ちまき」は洛北深泥ヶ池(みどろがいけ)付近の農家の人々が山から笹をとり中味なしで巻いて作る。「ちまき」の中味のないのが本来のものである。山鉾巡行に際して鉾上よろ囃子方が投げる「ちまき」を見物衆は争って之を拾い持ち帰って翌年の祇園祭に新しい「ちまき」と取替える迄の一年間門口につるし疫病難除とする。これに因んで御旅所及び社頭に置いて「ちまき」を授与している。
門口の淡い緑の「ちまき」は“おはらい”の信仰から生まれたものであると同時に京都の風物詩でもある。元来「ちまき」は和名「茅まき」で茅(ち=かや)に特別の霊性を認めた日本古来の考え方にたっていて厄難消除の為、門口につるしたものである。従って自らの罪けがれを祓い日々の行ないを清く正しくして神のみ心に叶う生活をする心がけのよすがである。

Dscf7505_800
▶冠者殿社は、八坂神社御旅所の西端横に立つ八坂神社の境外末社で、八坂神社のご祭神の素戔鳴尊の荒魂が祀られています。素戔鳴尊は、天照大神に対して身の潔白を誓約された神さまで、誓文払いの祖神として信仰されています。官者殿社と記されることもあります。
俗説には平家が滅びた後、源義経を暗殺するために源頼朝によって遣わされた討手・土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)をも祀ると伝わります。源頼朝の命を受け義経の討っ手となった人物が土佐坊昌俊。土佐坊は熊野詣を装って上洛し、義経には本心とは裏腹に「自分は紀州熊野権現への参詣の途中に立ち寄ったもので、君に二心はない」と誓紙七枚を起請したと云います。三枚は八幡宮、一枚は熊野権現、三枚は誓いのしるしとして灰にして飲み下したとか。ところが、ところが、誓文をしたためながらも神をも恐れぬ所業で、夜陰に紛れ、義経の堀川邸を取り囲みます。土佐坊は奮戦するも義経の前に敵ではなかったようです。これが世に云う「堀川夜討ち」です。死にあたって土佐坊は「この後、忠義立てのために偽りの誓いをする者の罪を救わん」と願をかけたと言います。
そこからで商売の駆け引き上、客にうそをつく人々の守護神とされました。この事から冠者殿社には「起請返し」「誓文払い」の信仰が生まれたようです。今ではバーゲン、セールと云う言葉を使うことが多くなったですが、かつて商店などでは「誓文払い」と銘打って、蔵ざらえ、在庫一掃の安売りが行われていました。これも平素の商売上のかけ引きでついた嘘を祓い清めてもらうとの意味合いがありました。また毎年10月20日には、商人や遊女などが、平素商売の駆け引き上、客にうそをついた罪を祓い清めてもらうための参詣が行われ、祭として故事を伝えます。
それもいつしか、愛、恋の嘘も清めてもらえる神様へともなってゆき、幕末の頃、祇園や先斗町など花街の遊女達は、馴染みの客に愛の証として偽りの恋文、証文を書いたこと、嘘をついたことを清める参詣が行われるようになり、この参詣は一切無言で行わなければ願いは破れるとかで「無言詣」と呼ばれるようになります。「無言詣」は神幸祭の日から24日まで八坂神社御旅所に神様がいらっしゃる7日間祇園や先斗町の芸舞妓さんがはじめたというちょっと変わった願掛けです。四条大橋のたもとから八坂神社御旅所まで毎夜続けて7日間詣でると願い事が叶うといいます。その際守らなければならないことがひとつだけあります。決して口を聞いてはいけません知人に逢っても、何があっても無言で詣でなければなりません。これも今は祇園祭の頃、御旅所に神輿が留まる七日七夜にわたり行われるようにもなっています。
繁華街の中にある小さな社ですが、奥深い歴史があるのですね。

|

« 綱敷天神社・綱敷天神社御旅社・歯神社(H20.7.5) | トップページ | 出雲大神宮(H20.7.16) »

神社巡り 京都」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。八坂神社のお話しは今回、初めて知りました。
昔、初詣にここへ連れてこられたことはあったのですが、いつもおみくじが大吉とかいいのしか出ないので、嬉しかったです。
(住吉は本当、凶ばかり出ます。確率的にもかなり多いそうですね)
御旅所は、昨日通ったのですが「何やろ~?」とわかりませんでした。
その先にあった冠者殿社は書いてあったのでわかりました。「八坂神社の御旅所」と書いてありました。
「無言詣」は距離的には近いので現実に実行することも可能でしょうね。
貴船に丑の刻参りの方が無理があると思います
錦天満宮はなんとなく気付いていたのですが、昨年お守りが欲しくて行きました(可愛らしいリボンのお守りです)
そのとき検索で調べてたとき、境内の話し知りました。
お水は正直、貴船と比べると‥やはり都会の水だと思いました。
天満宮に牛があるのを気付いたのは京都北野へ行ったときです。(モチロン大阪にも、神戸にも行ったことはありました)
子が受験だったので、行きました。
みんなが撫でてるので「撫でると合格する」のかな~?としか思いませんでした
このときはPCすら持ってなかったので‥
お礼参りに梅の季節に行ったので、梅林くらいしか写真がないです^^

いつも色々と教えていただきありがとうございます(^^ゞ
わたしの周りでは神社とか信じない人ばかりで話すとバカにされるので‥
あまり人に話せませんので

投稿: みちる | 2008年8月11日 (月) 17時12分

こんばんは!みちるさん。

あんまり私はおみくじはひかないのですが、
たしかに住吉さんでは大吉が私もでたことがないです。

錦天満宮のおみくじはびっくりでした。
普通の自動販売機のおみくじは味気ないですけど、
同じ自動でも錦天満宮のおみくじは獅子舞みくじや神主人形で楽しめますよね。
ついつい、いくつかの種類のおみくじをひいてしまいました。

私も何年も前から錦天満宮や八坂神社御旅所のあたりを通っていましたが、
以前は御旅所は視界にすら入っていたかどうかも解らないぐらいでした。
夜に通ることが多かったんで、お参りしたのは、今回がはじめてでした。

「無言詣」は舞妓さんがするから、途中、声をかけられても、
人差し指を口もとにそっと持っていって、黙ってそのしぐさだけでも、
誰が見ても色っぽく京都らしく思えて、いいもんでしょうけど、
男がしてても、単に無口な変なやつぐらいにしか思われませんよね。
私が、無言詣で、その途中に連れに会って、人さし指で「無言詣中よ」と
表現をしようもんなら、あとでなんていわれるかわかりません。

私も、今、こういう神社のブログをさせて頂いてますが、ほんの少し前まで
初詣でもすらもあんまり行ったことがないぐらいだったんです。
みちるさんのように、お礼参りをしないと・・・ということすら思いもしませんでした。

小学生の時ですけど、生まれて初めて友人といった旅行が出雲大社だったんです。
昨年に雪の中、二十何年ぶりかでお参りしたので、
このお盆に、今回は夏に出雲大社に行こうと思っています。
60年に一度の御本殿特別拝観に入れたらいいなと・・・・。

投稿: 神在月 | 2008年8月14日 (木) 04時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1038526/22372598

この記事へのトラックバック一覧です: 錦天満宮から八坂神社御旅所・冠者殿社へ(H20.7.16):

« 綱敷天神社・綱敷天神社御旅社・歯神社(H20.7.5) | トップページ | 出雲大神宮(H20.7.16) »