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2008年7月 5日 (土)

吉田神社・宗忠神社(H20.6.27)

●吉田神社(京都市左京区吉田神楽岡町30番地)
貞観元(859)年、藤原山蔭卿が平安京の都の守護神として、藤原氏の氏神である奈良の春日社四神を勧請し、都の東北(表鬼門)に位置する吉田山に創建されました。この吉田山は、別名「神楽岡」と呼ばれ、古くから霊域として崇められ、東山三十六峰の一つにも数えられています。
後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになりました。永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列されました。鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田氏)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として1484年、境内に末社・斎場所大元宮を建立しました。近世始めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(現在はない)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。吉田家は全国の神社の神職の任免権などを持ち、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。
また、山の中腹には、全国の神を祀る斎場所大元宮があります。この御殿は八角形であり、その造りは種々の特異な形式を持ち、その総ては、吉田神道の原理に基づき創建されたと伝えられ、日本国中の神のご加護に預かれる。日本国中(3132座)の神を祀る大元宮は、全国に類を見ない荘厳雄大な建物であり、重要文化財に指定されています。
当神社に仕えた吉田家は、近世まで神社界の総家と仰がれ、全国の神主に宗源宣旨、裁許状を授けた。「徒然草」の吉田兼好もその一門です。

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▶京都大学前にある石標。

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▶一の鳥居。

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▶この参道石段を登り、左手に本宮が見えます。

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▶夏越の大祓の茅の輪の準備でしょうか?

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▶本宮前、なにか謂れがある場所なのでしょうか?

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▶本宮前の御神木。

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▶本宮拝殿。

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▶本宮拝殿からご本殿。

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▶神楽岡社。祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、高オカミの神(たかおかみのかみ)の三神。鎮座の年代は詳でないが、延喜式に霹靂神、神楽岡に坐すと記してあり、神楽岡地主の神、又雷除の神として崇敬厚く、同町の氏神です。

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▶若宮社。天之子八根命の御子で天孫のために天二上に上りまして御膳水を請うて献奉り給うた水徳の神で、初め本社の第二殿と第三殿の間に無社殿で祭られてあったのを、後醍醐天皇延元元年、吉田兼熈が社殿を建て慶安元年(1648年)現地に造営、明治10年摂社に定められました。

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▶神鹿像。昭和32年、吉田神社御鎮座千百年記念事業の一つとして、境内の一角に鹿を遊ばせたが、鹿の増加と周辺地区への配慮から打ちきられ、その後、昭和60年、神鹿として鋳造されました。

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▶国歌君が代に詠まれた「さざれ石」。ここに置かれているさざれ石は、竹下内閣の時の「ふるさと創生」記念事業の一環として、岐阜県春日村から奉納されたもの。

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▶菓祖神社。祭神は田道間守命、林浄因命のニ神を祀る。昭和32年、京都菓子業界の総意により創建されました。境内を菓子業者の石柱が囲んでいます。

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▶菓祖神社拝殿。

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▶菓祖神社ご本殿。

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▶山蔭神社。吉田神社創建に貢献された藤原山蔭卿を祀る社で、山蔭卿は調理・調味づけに秀でたと言われており、料理飲食の祖神として、多くの料理店や業界の方々等の信仰を集めております。昭和32年全国の料理関係者が創建に協賛しました。

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▶三社社。祭神は多紀理毘売命、狭依毘売命、多岐津毘売命、金山毘古命、金山毘売命、菅原神の六神を祀る。初め吉田家の邸内に鎮祭してあったのを仁孝天皇弘化元年(1844年)現今の地に遷座。

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▶神龍社。通称100段と呼ばれるこの石段を登りつめたところに、南を向いて鎮座されています。

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▶でも、お留守とのことでしたのでお参りはしませんでした。

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▶神龍社前の神池のほとりの祠。祭神不明。

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▶今宮社。祭神は、大己貴神、大山祇神、健速須佐之男命。古くから木瓜大明神と称し吉田町の産土神です。

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▶祖霊社。

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▶斎場所大元宮。「大元宮」は節分詣発祥の社とされており、毎年2月2日~3日には節分の神事が行われることで有名であり、厄除け祈願の参拝者が多数訪れます。大元宮の祭神は天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)とされ、全国の神様3,132のご神体を祀っています。

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▶大元宮中門。

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▶斎場所大元宮ご本殿。八角形の社殿が特徴とのことですが、門が閉まっていて中をうかがうことはできませんでした。中門の穴から撮影しました。

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▶竹中稲荷社への参道。

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▶竹中稲荷社へ山道を通っていくことにしました。でも、迷ってしまいました。結局、元の鳥居まで戻ってから行きました。

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▶竹中稲荷社。祭神は宇賀御魂神、猿田彦神、天鈿女神の三神を祀る。鎮座および由来は不明。古紀に「在原業平の居を神楽岡稲荷神社の傍(かたわ)らに卜(ぼく)す云々」とあり、天長年間既に社殿の在った事が知られている。

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▶天満宮。竹中稲荷社の西側に鎮座。地福院に奉祀されてあったのを嘉永五年(1852年)現地に遷座。

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▶竹中稲荷社の裏には塚や祠が多数祀ってあり,独特の雰囲気を醸し出していました。人影はなくひっそりと静まりかえっており、夜であればとんでもなく怖いと思います。吉田神社の案内図にも記載されておらず、詳細は全く不明です。

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▶吉田神社御朱印。


●宗忠神社(京都府京都市左京区吉田下大路町63)
黒住宗忠は嘉永3年(1850年)に歿し、安永3年(1856年)に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられた。文久2年(1862年)、宗忠の門人の赤木忠春らが、吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建しました。慶応元年(1865年)には朝廷の勅願所となり、、皇室や二条家、九条家から篤い崇敬を受けました。明治時代には県社に列格。
流造のご本殿は明治45年(1912年)に改築されたもので、また拝殿も昭和12年(1937)に改築されたものである、ご本殿の北には、二条家より遷された天照大神を祀る神明宮があります。他に、白山比咩大神を祀る白山社、赤木忠春(赤木忠春神)を祀る忠春社があります。

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▶神井戸。境内に この神井戸の由来が書かれていました。
神社が鎮座して間もない頃、境内に井戸を掘ることになった。この土地は山の上であることから、人夫たちが「掘るのは掘るが、水が出ませんよ」と言うのを、とにかく三十尺(約10m)だけ掘らせました。案の定、水は一滴も出ません。さて、赤木忠春(黒住宗忠の高弟で当社建立の第一の功労者)は、人夫たちに「明日の朝に来て、見てください」と告げ、その夜ご神前に供えた御神水を空井戸に注ぎ、一心に祈りました。翌朝、人夫が小石を井戸に投げ込むと「ドボン」と音がします。水が涌き出ていたのです。それ以来、コンコンと湧き続けましたが、神社に何かご神慮に適わぬことが起こると水が濁ると言われてきました。まさに神楽岡の霊水として珍重されている。

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▶拝殿。

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▶拝殿の中。手前が上社(神明宮)で、奥が黒住宗忠が祀られているご本殿。

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▶ご本殿。

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▶神明宮ご本殿。天照大神を祀る。

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▶忠春社。祭神は赤木忠春神。宗忠大明神の高弟で美作(岡山県久米郡)の生まれ。宗忠大明神の大道宣布のため、幕末の動乱の京師に勤皇の大儀を貫き、国事のためにも寄与したとされる。

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▶白山社。加賀国の霊峰白山を神体山とする白山比咩大神を祀る。この土地を鎮護する神として、古くから鎮座する。

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コメント

竹中稲荷社へいかれましたか・・・あそこは、神式のお墓なんです。
明治維新の時に、仏式はいかん、神式にせよとの命令で作られたとか
しかし、土葬である神式では用地に限界があって、取りやめになったとか。
私は、黒谷から上って竹中稲荷、下って吉田神社のコースでした。
吉田山自体が霊場で、黒谷もお墓ばかりですが、観光京都でない
風景が好きで何度も行っている場所ですわ。

投稿: 路爺 | 2008年7月17日 (木) 12時44分

路爺さん こんばんは!

竹中稲荷社の裏は、業平塚もあるし、確かにお墓のようでしたよね。
石碑には、なになに大明神とかかれたものばかりでした。
鳥居もある稲荷社があったのですが、そこから10mぐらいしか離れていないのに
同じ稲荷社の奥之院があったり、他も荒れているだけの祠も多かったです
不思議な場所でした。夜ひとりで行くと相当おそろしい雰囲気なんでしょうね。
あの場所は、私はもうあんまり行きたいとは思いませんでしたー。


投稿: 神在月 | 2008年7月18日 (金) 05時52分

私、都合3回行ってます。。。
どなたを連れて行っても、まずは「沈黙」(^^;;;
本山の伏見稲荷さんの北側にも同じ様な神社が
あります。。。
こっちもいたはりますわ。。。。(^^;;
一度行かれてみては。。。伏見神社への信仰の凄さが
実感できますよ

輪友ページ
http://www.wakkan.net/net-ayaoya/fusimiinari8.html

投稿: 路爺 | 2008年7月18日 (金) 12時30分

路爺さん こんばんは!

伏見稲荷はうちの父方の実家の近くだったのですが、
お参りしたことはないんです。まして、五社之瀧は行ったことがないのですが、
路爺さんのホームページを拝見すると、鳥居と祠が重なりあってますよね。
すごいですよね。信仰のすごさが伺われます。
うちの祖母の実家がかつて伏見稲荷の宮司だったらしいんですけど、
うちの実家に伏見稲荷の信仰など聞いたこともありませんでした。

投稿: 神在月 | 2008年7月19日 (土) 23時20分

伏見稲荷は、
1日かけてみてきたほうがいいかもしれませんね。
その時は、上には便所がないんで、ご注意を~
そうそう、その時は、JR京都駅東寺側にある
伏見稲荷のお旅所もぜひ!!
これが、お旅所!!!と思えるスケールですわ。

投稿: 路爺 | 2008年7月21日 (月) 00時18分

路爺さん おはようございます!

私、お稲荷さんはあんまりお参りしないのですが、
伏見稲荷大社だけはお参りさせて頂きたいと思っています。
実家のお墓が伏見なので、その時に伏見稲荷に行ってきますね。

伏見稲荷の御旅所は相当広いというのは知っています。
八坂神社の御旅所は祇園祭が終われば、みやげ物屋さんに変わりますけどね。

投稿: 神在月 | 2008年7月21日 (月) 06時47分

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