白峯神宮から幸神社(H20.6.27)
●白峯神宮(京都市上京区今出川通堀川東入ル飛鳥井町261番地)
奈良時代の淳仁天皇、平安時代末の崇徳天皇を祀る。功績は厚いながらも非業の死を遂げた両天皇の霊を鎮めるために創建されました。明治天皇の命で創建された比較的新しい神社です。祭神は、保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で歿した「崇徳上皇」と藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路に配流されてそこで亡くなった「淳仁天皇」。
幕末の動乱期、孝明天皇は讃岐の白峯陵に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じたが、その後間もなく崩御。子の明治天皇がその意を継ぎ、現在地に社殿を造営し、明治元年(1868)8月、御影堂の神像を移して神体とし白峯宮を創建。のち淳仁天皇も合祀されました。昭和15年に官幣大社に昇格。
白峯神宮の社地は、蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地である。摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在では「まりの神様」として崇敬されサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られます。平成13年には、蹴鞠の碑が建立され、球技の上達を願う中高生らが後を絶たないという。サッカーワールドカップのフランス大会で日本が初出場した際に新聞やテレビで紹介されたのをきっかけにして、京都以外からも多くの人が参拝に訪れてます。
▶京都は応仁の乱をはじめ、幾度も戦乱や火災に遭っているので、中心部は樹齢500年を越す木はほとんど存在しない。この樹齢800年の小賀玉の御神木は近隣の住民が身を挺して火災から守ってきたとされ、現代まで生き残ってきた市街地では貴重な老木です。この木が京都では最大のもので、京都市指定天然記念物に指定されています。
▶「三葉の松」は全国でも珍しく、その姿から「夫婦和楽・家内安全」を象徴して、その松葉は黄金色になって落葉し、身につけると「金運」のご利益があるところから別名「金銭松」ともいわれています。
▶ご社殿にはサッカーやバレーボールの日本代表チームやJリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られます。
▶地主社。精大明神は、平安末期に蹴鞠の宗家飛鳥井家の邸内社として祀られていましたが、当神宮創建後に地主社となり、左・右御前の諸神様を合祀して現在に至るまで崇敬されています。
▶蹴鞠の碑。石碑中の鞠は「撫で鞠」と呼ばれます。球運を授かりたい場合、精大明神を参拝して「撫で鞠」を1回撫でるといいそうです。
▶鞠庭。蹴鞠は日本の伝統的球技。7間半(12.7メートル)四方の鞠庭(コート)で、8人の競技者が鹿の皮で作った球を落さぬよう蹴りあう古式豊かな行事。御所の伝統芸能として伝えられ、現在、京都蹴鞠保存会により継承されている。
▶潜龍社。この潜龍社は、昭和32年11月23日の当神宮お火焚祭斎行中に火炎の中に出現せられたのをもって、地元有志相寄って、御社を建立しこれに祀ったに始まります。
▶潜龍社手前にある潜龍井。この御祭神の鎮まり坐す潜龍井から湧き出ずる水を飲めば、家系にまつわる諸々の悪縁を断ち、盗難災難除、病気平癒、事業隆昌に霊験あらたかな神として崇敬も篤く崇められて来ました。
●幸神社(京都市上京区寺町今出川上る西入る幸神町303)
幸神社は、「さいのかみのやしろ」と読みます。この幸神社は、日本で最初の縁結びの神社であるということです。その起源は遠く神代に始まり、天武天皇の白鳳元年御再興、桓武天皇延暦十三年平安京の鬼門除守護神として御造営あらせられるとあり、都ができると、平安京の鬼門の東北の神を担い、同時に奈良の都以降、都の北東に『さいのかみ』を奉るという風習があると述べられている。
幸神社は猿田彦大神と天鈿女命を祀ります。猿田彦大神は日本神話の天孫降臨(天上界の天津神が地上に降臨したという伝承)の際、その道案内を果たした国津神(地上界の神)で、猿田彦神をまつる総本山は三重県鈴鹿市の椿大神社です。椿大神社もだいじんじゃではなく、おおかみやしろと読みます。一般には、道の神や交通安全の益がある神様として知られています。ここでは相殿の神である天鈿女神(あめのうずめのかみ)と結ばれたお話から縁結びとなったと言われています。称から由来して、幸を運ぶ御利益が高い社として人気があり、社殿には所狭しと多くの絵馬類が吊るされています。
そして境内に祀られる『御石さん(おせきさん)』と呼ばれる陽石は、触ると祟りを受けるが丁重に拝むと良縁に恵まれるといわれています。また『蘇我物語』には、この神社で誓った男女の縁は、永遠に朽ちることがないとも歌われています。 周辺地域は、平安京以前は出雲氏一族が本拠地としていたことから、主祭神の猿田彦大神は出雲路の道祖神でもありました。歌舞伎踊りの創始者として有名な出雲の「おくに」は,出雲路辺りの地で生まれ、一時期、巫女として使えていたといいます。
そして、幸神社には、この猿田彦大神の御神石と呼ばれる祭石が、狭い境内の端に安置されています。社殿などは猥雑活気な近世の風情を反映した造りとなっているのですが、この御神石のあるエリアだけは、非常に素朴な祀りのかたちとなっています。
▶おびただしい数の絵馬がかかっています。恋の祈願や縁結びの祈願が多い。なぜこの場所に掛けられているのでしょうか?こういうのは初めてです。
▶右から三天社。稲荷社。竃神社。天満宮。淡嶋社。春日社。厳島神社。稲荷神社。孔雀宮。
▶石神さんと疫神社。結界の中に、この石神が、おそらく狂言「石神」に登場する石神ではないかと考えられている。この狂言は夫と別れるのを石神に決めてもらうため、石を持ち上げられるかどうかをつづるもの。境内では石神は安置され、この石に触れると祟りがあると伝えられていて厳重に祀られています。
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