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2008年6月28日 (土)

晴明神社(H20.6.27)

●晴明神社(京都市上京区晴明町806)
寛弘4年(1007年)に一条天皇の勅令により創建された平安時代の陰陽師・安倍晴明を祀る神社です。一条戻橋のたもと(北西)にあった安倍晴明の屋敷跡に鎮座。
平安時代の陰陽師・安倍晴明は近年、荒俣宏氏の『帝都物語』や夢枕漠氏の『陰陽師』(岡野玲子氏によりコミック化も)などが火付け役になって、にわかにクローズアップされています。安倍晴明は今やブームの人。安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられてました。成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立。朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られました。
平安京随一の陰陽師として知られた安倍晴明ですが、その割には生涯官位は低く、それを惜しみ、晴明の功績をたたえるために造営されたのがこの神社でした。記録によるとその社域は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売に広がっていたといいます。後に秀吉の都造り政策や度重なる兵火などで縮小されてしまったが、氏子たちが中心となり、各式年祭毎に社殿が整備改修されました。現在の本殿は昭和3年の御大典記念事業として新築されたものです。境内や門前には魔除けの印である星の神紋「晴明桔梗」が掲げられ、平成7年に架け替えた際の橋の親柱を使って、小さな一条戻り橋も復元されました。晴明公についての言い伝えを絵と文章で分かりやすく説明する顕彰板などがあります。

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▶一体どの看板が正しいのでしょうか?

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▶鳥居の社額にも御神紋である五芒星が書かれています。

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▶旧 一条戻橋。平成7年まで実際に使われていた親柱でミニチュアを再現されています。
一条戻橋の名の由来は、918年(延喜18)、天台の修験行者 浄蔵が大峯山に修行で通っていたころ、漢学者である父 三善清行が死に、親の死に目に会えなかった息子の浄蔵が駆けつけ、この橋で棺と対面。浄蔵は父の棺に向かい持念すると、清行はたちまち蘇生し、ともに家に戻ったのでそれで戻橋という名前が付いたとされています。源氏物語にも「ゆくはかへるの橋」と書かれ、和泉式部も歌に詠んでいます。平家物語では、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした伝説などこの橋には様々なエピソードが残っている。また、千利休が豊臣秀吉の怒りをかうきっかけとなった大徳寺金毛閣の利休像の首、さらに切腹した利休自身の首がみせしめにさらされたのもこの橋でした。
現在の一条戻橋は、晴明神社から100メートルくらい南にいったところの堀川に架かっています。今は水がなく、コンクリートの川底が見えているが、その昔はかなり水かさもある急流だったようです。なお、戻橋の位置は、平安京の頃から現在まで変わっていないことが確認されています。
その名から、戻橋の縁起を担いで、旅に出る人はこの橋を渡って出かけました。兵士が戦地に赴く際も無事に帰ってこられるようにとこの橋を渡って出征したという哀しい歴史もこの橋には刻まれています。逆に、京都の嫁入り前の娘はこの橋に近づかないそうです。
「戻橋に行ってから晴明神社に行くのはいいけれど、その逆をしてはいけない」有名な話なのだそうですが、私は知りませんでした。

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▶千利休屋敷趾えお記した石碑。数年前に、江戸時代の茶書から、当神社の境内に当たる「葭屋町通元誓願寺下ル町」に利休屋敷があったことが確認されたため、利休の遺徳をたたえ茶道武者小路千家 家元が石碑を奉納されました。境内の「晴明井」の水は利休が使ったとされています。

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▶手水舎。手水鉢が小さくてかわいいです。

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▶晴明井。山城名泉の一つで病気平癒の水としてご利益がある水が湧き出ています。立春になると神職が井戸の上部を回転させ、取水口がその年々の恵方を指す仕組みになっております。千利休が茶の湯に使ったとの言い伝えもあります。

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▶御神木の楠。

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▶晴明公についての言い伝えが絵と文章でわかりやすく説明されています。その下には桔梗が植わっており7月頃~9月頃まで、可憐な花をいくつも咲かせます。因みに桔梗の花言葉は「誠実の愛」です。

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▶厄除桃。陰陽道では桃は魔除厄除の果物とされているようです。

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▶拝殿。五芒星が随所にあしらわれています。

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▶拝殿からご本殿。

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▶末社 齋稲荷社。倉稲魂命(うがのみたまのみこと)他、二柱を祀ります。晴明公は稲荷神の生まれ変わりとの言い伝えから当祀られるようになったとのことです。

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▶末社 齋稲荷社ご本殿。

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▶ご本殿から堀川通。

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▶授与所に有名人の絵馬が数多く奉納されていました。

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▶晴明神社御朱印。

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コメント

こんばんは。こちらにおこしくださりありがとうございました。
神在月さんも晴明神社投稿されていたんですね
今頃、気付きましたm(__)m
たくさん撮影されてて詳しく説明素晴らしいです
わたしのはブログを止めていた時期に撮影だったのでほとんどマトモにUP出来ませんでした。
晴明神社は、あの画像の昨秋に初めて行きました。
10月なのにまだ桔梗守りが偶然に買えてラッキーでした。
その後、一度来ていますが‥2回しかないです。
阿倍野の方は行きやすいのと夜中も入れるので何度か行っています。
壁に貼ってあった言い伝えの絵とお話し撮影しておけばよかったです。
あんまし暑くてしんどかったので‥
神在月さんもお体に気をつけてお元気でお過ごしくださいね

投稿: みちる | 2008年8月 6日 (水) 21時11分

みちるさん!こんばんは!

晴明神社はいつでも何時でも女子高生や修学旅行生の方が参拝されていますよね。
ご鎮座千年祭で境内が整備される前に一度だけ参拝したことがありますが、
はっきり覚えておりません。私もそれをいれても参拝したのは3〜4回だけですよ。

私は、阿倍野の安倍晴明神社にはお参りしたことがないのです。
うちの実家があった場所からもそんなに遠くないですし、一度行きたいと思いました。
福井県敦賀市にも晴明神社があるようです。こちらは気軽にいけませんが、気になります。

晴明公についての言い伝えの顕彰板の写真。サーバにアップしましたので、
よろしければ、下のURLからダウンロードして頂ければと思います。
http://homepage.mac.com/ywa_isaoisao/.Public/seimei.lzh

うまくダウンロードできないときはご連絡くださいませ。Lha形式で圧縮してます。

投稿: 神在月 | 2008年8月 7日 (木) 23時18分

おはようございます。こちらも3年前行かせていただきました。あなたが行かれたところに行ってるだけで、うれしいです。早くお手紙届くともっともっとうれしいのにな。

投稿: あさはた | 2017年5月 6日 (土) 06時30分

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