2008年7月27日 (日)

堂島薬師堂(H20.7.27)

●堂島薬師堂(大阪市北区堂島1-6-20)
大阪駅から南に約500メートル行ったところにある北新地の西側、高層ビル「堂島アバンザ」の敷地にあるミラーガラスを127枚組み合わせた直径7mの球状の不思議な建物。 ここは、1400年以上の歴史の由緒ある堂島薬師堂です。
薬師堂とは、薬師如来を安置した御堂のことで、薬師如来とは、人々の病気を治し、安楽を得させる仏様。仏教の伝来以後、治病の仏として庶民に広く信仰されてきました。そんな薬師如来を安置した堂島薬師堂は、聖徳太子の時代に建立されたと伝えられています。また、元々この堂島辺りは、中洲でそこにこのお堂があったため、「堂島」の地名になったとも言われています。しかし、戦後、毎日新聞社が増築した際、敷地内に祀られていた薬師堂を敷地東向いの社有地に移設しました。平成11年に毎日新聞社屋跡に堂島アバンザを建設する際、奈良の薬師寺や地元の要請があり、再び元の場所に戻りました。
以前の御堂は瓦屋根の日本的な建物でしたが、新しい御堂はミラーガラスと石で構成した現代的なビルと調和を図るためモダンにデザインされました。形はミラーガラス127枚を組み合わせた直径7mの球状です。これにもちゃんと理由があり、球体は無限に広がる宇宙や天体、そして如来像の永久的なイメージを感じさせます。外装の黄金色のガラスは、御本尊として祀っている薬師瑠璃光如来にあやかっています。「瑠璃」は「ガラス」の意味があります。御堂の周囲には水鏡のような円形の池(直径20m)を巡らせ、池には蓮の花を模したオブジェをあしらうなど、様々な工夫が凝らされています。堂島薬師堂奉賛会から寄贈された「合掌」をモチーフとした燭台アートを設置、さらに欄干を兼用したベンチを設けています。御堂の下から霧を発生させ、夜間は池の照明を幻想的な空間となっています。平成16年3月19日に行なわれた第1回堂島薬師堂「お水汲み祭り」では、薬師堂の僧侶によって祈祷され、お香水で清められた竹筒護符が配られ、春と福を呼ぶ祭事が復活しました。
堂島は江戸時代には米市が設置され、現在は高層ビルが建ち並ぶオフィス街。そんな堂島で、薬師堂は栄枯盛衰を繰り返し、そして現在も月2回の法要があり、節分の日に、厄払いと鬼追い行事を行っています。普段でもお参りする人もいて、大変親しまれています。私の会社も堂島なのですが、本日はじめてお参りさせていただきました。

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▶堂島アバンザ。堂島薬師堂は、この堂島アバンザの敷地の東側。新地の繁華街の西側に位置します。

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▶今も月2回、奈良薬師寺僧侶による法要が行われています。この案内板の裏に堂島薬師堂由来がかかれてあります。

堂島薬師堂 由来
西暦593年、推古朝のころの史料に「東は玉造り四天王寺をつくり、西の方州の中に御堂を建立」の記録があるという。また、延宝三年(1675年)に書かれた古文書「芦別船(あしわけぶね)」にも「聖徳太子が四天王寺創建時に、建築用材の運搬船が暴風雨で難破、州の中に流れつき、お堂を建てた」との記述があり、これが薬師堂の起源と言われている。
海上を航行する船から、このお堂がよく見えたところから薬師堂のある島が「堂島」の地名になったとも言われている。お堂内には、薬師如来像、地蔵菩薩像、弘法太師像など仏像4体と、ねはん図など軸二本がおまつりしてある。薬師如来像は室町時代の作と鑑定されているが、その由来は定かでない。また、弘法太師像は薬師如来像よりも歴史が古いと伝えられており、明治26年(1893年)からの大阪太師詣りの行事では薬師堂を第一番の霊場として、1日数十万人の参詣者で賑わうほどであった。
堂島薬師堂は堂島の世相、経済と連動しながら栄枯盛衰を繰り返し、現在は、月2回の法要と、節分の日に、厄払いと鬼追い行事を行っている。
平成11年3月

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▶参道?から境内?を入ったところに手洗場もあります。

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▶堂島薬師堂。とても御堂とは思えません。

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▶堂島薬師堂内。ガラスの扉は普段は閉められています。薬師如来様・弘法大師様・地蔵菩薩様が祀られています。

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▶御堂の扉の両脇に豊川稲荷大明神様と白龍辨財天様が向かい合って祀られています。

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▶お堂に向かって左手の池の中に祀られている弁財天様。

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▶なんと「百度石」まであります。御堂のすぐ前のところにありますので、百回往復してもそんなにしんどくなさそうです。

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2008年7月23日 (水)

越木岩神社(H20.7.21)

●越木岩神社(西宮市甑岩町5-4)
越木岩神社は、創立不詳と言われるほど遠く古代より信仰を集めており、千年以上昔に編纂された延喜式神名帳に大国主西神社と記されているのがこの神社であろうと言われています。正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦二年(1656年)に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称しました。元々は当地にある甑岩等の磐座を祀ったもの。甑(こしき:セイロ)に似ていることから甑岩と呼ばれています。蛭児大神を勧請してから、甑岩は岩社として祀られています。

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▶正面の鳥居は震災で倒半壊し、翌年復興しました。

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▶旧鳥居は復旧復興の碑として保存されています。

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▶力石。

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▶境内にはヒメユズリハ群落、スダシイ=ヤブコウジ群落などの暖帯林が茂っていて、これらは大変貴重なもので、県の天然記念物に指定されています。

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▶蛭子大神宮。現在のご本殿は昭和11年に、拝殿は昭和58年に造営されました。

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▶拝殿の左側に脇道があり、そこを行きますと、神の宿るという巨大な霊石「甑岩(こしきいわ)」につきます。 

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▶土社。御祭神は大地主大神。

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▶岩社。甑岩神祠・厳島神社の御分霊をお祀りしています。

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▶この巨岩は、その形状から子授けの神様、安産の神様としても信仰され、全国的に知られています。周囲約40m・高さ10mの大岩。酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩(こしきいわ)」と名づけられ、昔から信仰の対象とされてきました。今から400年ほど前、豊臣秀吉が大阪城・築城に際し、城の石垣にする石を送るようにと全国の大名に命じます。この岩に目を付けたある大名が、人々の制止にも耳を貸さず、家来に命じて切り出しにかかったところ、ある日ノミを打ち込んだ岩の割れ目から白い煙が立ち昇り、それを吸った石切職人達は手足を震わせ、苦しみもだえて斜面をころがり落ち、やがて息絶えたそうで、即刻、石の切り出しは中止されたとも伝えられています。

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▶池田備中守長幸家紋。大阪城築城のために切り出そうとしていたときの城主の刻印。

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▶結局どうしても運び出せなかったそうで、境内に今でも当時の残岩が残っています。

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▶六甲山社。菊理姫大神をお祀りしています。

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▶稲荷社。白玉稲荷・大崎稲荷(伏見稲荷大社の御分霊)をお祀りしています。当社の大崎稲荷のお稲荷さんは、世間一般のキツネではなく、タヌキがお守りされているそうです。

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▶遥拝所。ここから伊勢神宮・宮中三殿、皇居にある賢所(かしこどころ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)・各社を遥拝できます。

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▶甑不動明王。ずいぶん以前から鎮座されていたようです。平成6年末、上半身の盗難にあい、平成9年に、現在のものに新調されました。今でも、後本体の背後に下半身のみのお姿が残っています。どちらも千葉の成田さんに抜魂・入魂をしていただいているそうです。

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▶罔象免(みずはのめ)神社。罔象免大神(大古より湧き出でる霊水)をお祀りしています。境内のMapには水神社と記載されていました。松尾芭蕉も、この地を訪れ、『さざれ蟹 足這い上がる 清水かな』と詠いました。このご神水は、随分昔から(室町時代)病気に効能があると、汲みに来て飲用し、直ったと言う話が伝わっているそうです。今でも、飲用される方や、家の周囲にまく方、中にはうどん屋さんが釜の中に数滴入れて茹でると何とも言えないいい味が出るようになり、子授かりにも効果があったと言う話もあるそうです。

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▶甑岩からさらに奥にいくと貴船社があります。越木岩神社のHPでは雨乞社と記載されています。

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▶貴船社。貴船大神・龍神をお祀りしています。六甲山に残る「石の宝殿」を遥拝する祠とされています。祠の裏に長さ数mもある巨石群が、山のように積み重なっています。

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▶貴船社のさらに奥に進みます。

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▶古社 稚日女尊宮(わかひのめのみことのみや)。明らかに岩石信仰の残る場所で社境内の中でも最も最奥部にあります。ご神体甑岩が女性神で、境内地内における陰陽対称として崇めたてられている。男性神という説もあります。ここは北の磐座とも呼ばれています。

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▶甑岩への裏参道。

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▶裏参道横の祠。境内のMapにも記載がなく、御祭神等は不明です。

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▶越木岩神社御朱印。

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門戸厄神(松泰山東光寺)(H20.7.21)

●門戸厄神(松泰山東光寺)(兵庫県西宮市門戸西町2-26)
門戸厄神という呼び名の方が知られていると思います。阪急電鉄の駅名も門戸厄神です。正式名称は松泰山東光寺。 当寺は嵯峨天皇の勅願所として弘法大師により天長六年(829)に開基と伝えられています。東光寺という名称は薬師如来様の住む浄土、東方浄瑠璃世界から光を発せられる寺という意味で名付けられました。通称名である門戸厄神(厄神さん)と呼ばれることの方が多く、厄除祈願のお寺として広く親しまれています。
東光寺には、日本三体厄神の一つである日本三躰厄神明王(両頭愛染明王)が奉られています。寺伝によれば、嵯峨天皇の41歳の御厄年の時、愛染明王と不動明王が一体化し、諸々の災厄を打ち払い、魔障を打ち平らげる霊威を夢幻に感得したのを弘法大師がお聞きになり、大師自ら白壇木に愛染明王と不動明王が一体になった明王像を刻まれました。厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻み弘法大師により厄除祈願が行われ、その際嵯峨天皇は愛染明王と不動明王が一体となって厄神明王となりあらゆる厄を打ち払うという霊感を得、空海に祈願を命じた。弘法大師は愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻み、一体は高野山の天野明神へ国家安泰として、次の一体は石清水八幡宮へ皇家安泰として、残る一体は一般庶民守護のためにお祀りされていますが、現在残っているのは東光寺のもののみとなっています。
毎月19日には厄神明王の縁日として行事が行われ、特に毎年1月18日・19日の厄神大祭と2月3日の星祭(節分)は、その年の前後に厄年を迎える人々を中心にした参詣者で大いに賑わいます。 また11月19日には人形供養も行われます。参道には屋台の店が並び、日ごろ静かな旧西国街道から参道にかけて人の波は途絶えることを知りません。 この年に厄除けをする人は男坂・女坂を上り境内に入り、厄神堂・大黒堂・愛染堂などにお参りします。 厄除開運以外にも家内安全・商売繁盛・無病息災など諸願成就の御霊徳があるとされています。

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▶阪急今津線軌道沿いの道から一つ西側の道を進むと、二基の常夜灯が立ち左折すると門戸厄神への参道があります。門戸厄神へ向かって右側の常夜灯脇に立てられているのがこの道標です。この道標は門戸厄神駅から西へ伸びる西国街道沿いに五十メートルほど進んだところに立てられていたらしい。立てられたのは大正11年1月。昭和34年に門戸厄神駅前整備で失われようとしていたこの道標を、元あった場所からここに移し保存されたものといわれます。

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▶42段の男厄坂と呼ばれる厄年にちなんだ階段。この階段には一段一段登ることで厄を落とすという意味があります。

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▶表門。阪神大震災で全壊し再建されました。

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▶不動堂(護摩堂)。不動明王をお祀りしています。不動とは揺るぎない悟りの心のこと、また忿怒の相は、如何なるものでも屈服させ救済しようとする姿を表しています。このお堂で、そえ護摩のお焚き上げを行います。

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▶地蔵尊様と思われますが、詳しいことは解りません。

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▶子守地蔵尊。うしろの階段が女厄坂です。

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▶33段の女厄坂。

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▶中楼門。

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▶薬師堂。ご本尊薬師瑠璃光如来をお祀りしています。通称お薬師さん。その大願の一つに「私の名を聞けばいかなる病も悉く除かれ、身も心も安楽になる」といわれ、別名大医王とも呼ばれています。額には「瑠璃光殿」と書かれていました。

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▶薬師堂内部。

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▶大黒堂・愛染堂。大黒天と愛染明王をお祀りしています。大黒天は大国主命になぞらえられて、円満なお顔の財福神として台所に祀られ、また七福神の一人で商売繁盛の仏様でもあります。当寺の大黒様は蓮の葉の帽子をかぶり、蓮の葉の台座に立っておられます。愛染明王は全身が赤色で愛情・愛欲を表し、煩悩そのまま菩堤心であることを悟らせ縁結びの本尊でもあります。

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▶厄神堂。日本三躰の厄神明王をお祀りしています。

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▶延命魂(根)。高野山奥の院、弘法大師御廟近くの参道に、高さ60メートル、樹齢八百年を経た老杉が天空にそびえ立ち、お大師様を守護しておりました。生命をまっとうしたその杉根を、この度高野山金剛峯寺より当山へお下げ賜った霊木であります。800年もの永い間、幾千万人もの人々の祈りと神仏の魂がこもった霊木でありますので、延命や、病気平癒(全快)のご利益があります。「延命魂(根)」にふれ、さわり、ご自分の体の悪い所、あるいはお願い事を祈念しておかげを頂きます。

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▶大師堂。真言宗の宗祖弘法大師空海上人をお祀りしています。

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▶大師堂の前の碑。詳細は解りません。

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▶稲荷社。厄神堂の後ろに祀られています。稲荷社・奥の院の存在を知っている人はほとんどいないではないでしょうか?私も今回初めて知りました。

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▶奥の院。稲荷社・奥の院についてはパンフレットにも詳細を記載されていないので、よく解りません。  

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▶奥の院横の仏様。詳細は解りません。

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▶弘法大師(修行大師)と四国八十八ヶ所。四国八十八ケ所は弘法大師を慕い、その御遺跡を遍礼せんとして始まりました。ここには四国各札所の砂を敷き、各本尊をお祀りしています。

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▶手軽に八十八ケ所巡りをすることができます。

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▶東光寺納経印。

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2008年7月19日 (土)

出雲大神宮(H20.7.16)

●出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地)
出雲大神宮は、国づくりの神話で有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)とその后、三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を主祭神とする由緒ある神社です。ご祭神については、天津彦根命・天夷鳥命・三穂津姫命の三柱とする説や、元々は三穂津姫尊一柱のみであるという説もあります。大国主命については、出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされるが、逆に出雲大社の方が当社より勧請を受けたものとする説もあり、「元出雲」とも呼ばれる。『丹波国風土記』には、「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述があります。
和銅2年(709)10月21日に社殿を造営とあり、それ以前から、存在していたと考えられています。社伝によると、ご鎮座は1万年以上前とも言われています。平安時代の延喜式神名帳には、名神大社、丹波国一の宮と定められ、深い信仰を集めてきました。また、農に関わる行事として、毎年1月には、1年の稲作の吉凶を占い、豊作を祈願する粥占祭(よねうらさい)が行なわれ、毎年4月には、鎮花祭が行なわれ、「出雲風流花踊り」が奉納されますが、これは、古くから日照りの害が多かったこの地域の雨乞い神事を起源としています。
旧社格は国幣中社で、戦後は神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっています。旧称を出雲神社。京都バスのバス停も出雲神社になっていました。背後に「千年山」という神体山があることから「千年宮」とも呼ばれています。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで杵築大社と称していたため、江戸時代末までは、出雲神社と言えばこの出雲大神宮を指していました。吉田兼好が徒然草で記した「丹波に出雲と云ふ処あり」の「出雲」とはこの出雲大神宮のこと。
島根県の出雲大社は、日本最古の神社の一つといわれ、出雲信仰の総本社ですが、出雲大神宮の社伝では、この地から出雲の地へ分霊したとも伝えられています。大国主命は、天津神が地上に降臨してくるまで、地上界(葦原中つ国)を束ねる国津神の総領でした。この大国主命は、国津神が降臨してきた後に国を譲り渡し、その代わりとして出雲国(現島根県)の出雲大社に祀られることとなったのでした。三穂津姫命は高皇産霊神の娘であり、国譲りの際に大国主命と結婚した后神です。この2神を祀るため、現在では出雲大神宮は、縁結びに絶大な霊験を発する神社として知られるようになりました。江原啓之さんや李家幽竹さんがパワースポットとして紹介していることでも有名です。

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▶手水舎。

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▶真名井の水。境内から湧き出るこのご神水は、飲めば幸福を招き長寿になるとされています。日本水質保健研究所によれば、古生代の石灰岩層をつたって火山噴火でできたマグマの接触変成岩層から湧き出ている水で、ミネラルがバランスよく含まれる極めて健康によい理想の水であるとするなど地質学的に実証されております。このような水は自然界の中でもほんの一部しか存在しないという事です。

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▶真名井の水のすぐ近くの夫婦岩。

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▶出雲大神宮は平成21年社殿創建1300年記念事業の大改修中でそのための寄付ののぼりです。一番下に李家幽竹さんのお名前がありました。

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▶拝殿からご本殿。拝殿は母屋造、妻入で本殿と同じく檜皮葺を施した舞殿形式の建物であり、明治11(1878)年に官費により造営されました。ここでは10月21日に斎行される例大祭や4月18日の花鎮祭に巫女による御神楽「浦安の舞」が奉納されます。

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▶現在の本殿は鎌倉時代末期の元徳年間、あるいは貞和元(1345)年に足利尊氏が修造した事が当時の史料から知られています。しかし近年、三枚の棟札が発見され、そのうち文安2年(1445)11月26日のものは「御願主源右享(京)大夫殿」とある点を考慮し、社殿造営に関して室町期に管領職として幕権を掌握した細川勝元との関係も考えられています。造りは中世神社建築に多く見られる三間社流造平入で、建坪十四坪弱、檜皮葺を施しており、明治39年(1906)に旧国宝、現重要文化財に指定されています。平面は正面に一間の向拝をもうけ、前庇を外陣、身舎を内陣・内々陣にあて、奥に行くに従い格式を高めています。外陣と内陣部分には高欄付きの縁をまわし、身舎側面の中央柱の所に脇障子を立てて見切り、身舎後半部には縁をまわしていません。

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▶御神木 招霊木(オカダマノキ)。暖地に生える常緑高木。京都府には自生種はまだ見つかっていない。オカダマというのは招霊(オギタマ)の意と言われ、神事に用いられてきた。花は香り高く、主に神社に植えられている。材は固く家具などに用います。この木は参拝者に神徳を与え、人々に幸福を授くと伝えられ、神宿る木として崇められてきました。樹齢1500年以上と推定されています。

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▶拝殿前のこの道から磐座・摂社末社にお参りします。

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▶しばらく行くと鳥居が見えてきます。

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▶春日社。御祭神は御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)天兒屋命(アメノコヤネノミコト)。
大国主命による国造りが完了して、皇孫に国譲りの際、天津神の使者として遣わされたのが建御雷之男神です。大国主命は御子神の事代主命に尋ねて決定すると伝え、事代主命はこれに賛同なされました。またもう一人の御子神である建御名方神がいると申し上げた所、その建御名方神は自分の国に来て勝手な事をしているのは誰だ、と建御雷之男神に力競べを挑みます。これに勝たれたのが建御雷之男神で、全国に多々お祀りされる春日社の御祭神として、また敗北された建御名方神は遠く諏訪の地に逃れられ、そこで皇室をお守りすると誓われました。た古来より祭祀を司ってきたのは藤原氏で、その祖と仰がれた天兒屋命をお祀りしています。建御雷之男神と共に春日大社の御祭神で、当宮ではその御分霊を奉斎しております。これは中世、藤原氏の一族、一条(後の西園寺)家が当宮の領家職であった事に由来します。

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▶磐座。ご本殿の真後ろの山道にあります。目に見えない不思議な霊力を与えるとされています。李家幽竹さんのオススメのパワースポットらしいです。李家幽竹さんによると、「ここも、すご~く強いスポットですので、超おすすめデス。 本殿周りも、強いスポットなのですが、なんと言っても、本殿の裏にあるこの磐座がパワーの発生源だと思われます。岩の近くに行けるので、岩にふれたりしてパワーを体感してみて下さい。 」とのことです。

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▶車塚古墳。ご本殿後方の山にある境内古墳。5世紀~6世紀書の前方後円墳と推定されており、後円部の残りは良く、円丘部分が確認できます。また、横穴式石室が保存のいい状態で開口しており、内部の様子が観察できます。 

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▶山の中の参道、境内の至る所でご神岩があります。

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▶稲荷社。

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▶稲荷社の横のみかげの滝。

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▶みかげの滝、横から。

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▶みかげの滝、上から。

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▶上の社。ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)。天照大神のお怒りをかい、高天原から追放された素戔嗚尊は出雲国に天降りまして、手名椎、足名椎神の女である櫛稲田姫尊を八俣大蛇の生贄から守り娶られました。その時に素戔嗚尊が詠まれた「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を」という和歌は最初の和歌と伝えられています。また記紀によれば素戔嗚尊の子、また5世あるいは6世が当宮主祭神の大国主命であると記されています。 上の社本殿は向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した流造ですが、その造りは一間社と珍しい構造で、創建は文化10(1813)年と擬宝珠に刻まれています。

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▶上の社から国祖磐座への道。

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▶国祖磐座(大八洲国国祖神社)。

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▶本殿の後に、美しくそびえる御蔭山そのものが「出雲大神」として、太古より崇められていた御神体山で、この御蔭山は、国常立尊(くにとこたちのかみ)の身体そのものです。御影山は禁足地ですが、この磐座までは登ることが許されています。

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▶神々が御降臨遊ばされたのは御神体山である御蔭山で、出雲大神宮の本殿が立てられる以前から公武を問わず、尊崇を集めてきました。古は千年山とも呼ばれた様に、永続の根本、つまり国の最も優れた中心地でありました。 御蔭山は国祖として知られる国常立尊がお鎮りになられ、『富士古文書』には当宮御祭神の三穂津姫命が御奉仕し、お隠れになられた折にはこの御蔭山に葬られたと記されています。丹波国風土記には、大八洲国国祖神社(おおやしまのくにのみおやのじんじゃ)と記され、また「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。」とあります。

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▶拝殿前にあった大八洲国国祖神社の案内板。

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▶笑殿社。御祭神は、事代主命(コトシロヌシノミコト)と少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)。事代主命は当宮の主祭神大国主命の御子神であり、皇孫に対する国譲りに功績のあった神様でありまして、託宣を司る御神徳で著名です。また少那毘古名命は国譲り以前の国造りに際して大国主命に御協力遊ばされ、共に温泉を衆庶に広めて医薬を教え、その完了後は常世国にお移りになられました。

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▶辨財天社。御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。素戔嗚尊が天照大神への忠誠を示す為、誓約(うけい)が行われ、天照大神は素戔嗚尊の剣を砕いて息吹をお掛けになられたところ、三女がお生まれになられました。宗像大社にはこの三女神がお祀りされており、その一人の御分霊をお祀りしています。

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▶社務所後ろの祠。ご祭神は不明。

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▶西門。

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▶西門をでたところにある出雲庵という手打ちお蕎麦屋さん。そばの実を石臼で挽いたそば粉に当地の名水を加えて打ったそばは、コシと風味が絶品で非常に美味しかったです。ドクターコパさんや五木寛之さんなどの有名人の写真がいっぱいありました。

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▶出雲大神宮御朱印。

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